2015年7月31日金曜日

丸山真男『後衛の位置から』本棚から1086

書影(1982・9 未来社刊)
本棚から、『現代政治の思想と行動』の隣に挿されていた丸山真男著『後衛
の位置から』を抜き出した。

その中に、「憲法第9条をめぐる若干の考察」という、1964年に<憲法問題
研究会>例会でした報告を加筆し収録されている。
発表されてから50年経っていながら、改憲問題は、第9条が政治問題化した
ところから発している戦後史のポイントを鋭く突いている。
最初からいまに発展してきていることの深層がよくわかる。

25年、朝鮮戦争直後に「警察予備隊」を創らされ、この予備隊の成長過程を
めぐって、違憲ではないかという問題提起が政治的に出始める。
僕は10歳の頃だったが、巷で「再軍備」の声として聞こえ始めたのを覚えて
います。

アメリカの戦略体制の一環として、これまで日本は軍備を強化してきたし、さ
らにいまから集団的自衛権を容認する「安保法制」で、自滅への途をたどる
のか、、、。
未だに、僕たち自身で「戦争責任」を問いきれていないということがあるように
思えてならない。

(←ブログ2014・7・20 「丸山真男『現代政治の思想と行動』を読んだ頃」707)
      2014・7・21 「続・丸山真男のこと」708)
      2014・7・22 「続々・丸山真男のこと」709)
      2014・7・28 「丸山真男に関する追記」715)

2015年7月30日木曜日

井上光晴について          1085


井上光晴の小説を、脚色、監督した熊井啓の「地の群れ」を観た。
最近初のDVD化されたものを45年ぶりに再度観たことになります。

最近、長崎の「軍艦島」や炭鉱労働者、差別問題が、最近やたらと浮上してきて
おり、少年時代の炭鉱生活がもとになっている井上光晴の『地の群れ』を思い出
した。小説の再読でもよかったが、手っ取り早く映像で観たくなった。

45年まえのスクリーンのなかの終わりのほうで、出演していた宇野重吉がまるい
サングラス越しに犯罪者の息子を守る姿と表情や声に凄みを帯びていく演技が
忘れないで思いだされた。スゴイ演出家であり、映画で多くは脇役であったが名
優だった。

昭和16年の佐世保にはじまって、戦後、米軍軍港となった時代背景のなかに、
熊井啓監督は、在日、ナガサキ被爆者、被差別部落といったタブーをとりあげて
いる。
徹底的に内なる二重の差別と排除がさらなる差別を生む構造を、これでもか、
これでもかと、暗い画面に塞ぎこむ。
出口のない、開放される場所もない、諍いがいさかいを生む狭い籠のなかで地
べたを這いずり回っている「群れ」を見るのはつらかった。

井上光晴が、新宿「ナルシス」のカウンターで彼特有の大声でフィクションを精密
なディテイルで展開されるので、既に「小説化」が始まっているように思える経験
をしたことがある。


2015年7月29日水曜日

多忙な人たち             1084


きょうは通常なら水曜会で会食するところを、それぞれの都合でナシになりました。
8月も旧盆が明けてから、例会の設定をすることで合意。

既に休会は確認済みと決め込み自宅でゆっくりしていたところ、富山滞在のカン
さんからメールが入った。

「昨日より富山です。
こちらに着いたときは強い雨でしたが、今日は晴れています。
明後日ソウルに行きます。
いったん帰国しますが、すぐにニューヨークに行く予定です」 と。
彼は、ほとんど隠遁生活になりつつあると言っていたが、なんのその、まだまだ
仕事で大いに活躍の様子がうかがえる。

Gyoも仕事で、5月にドイツのケルンへ、6月にはツールド・パリでフランスへ出張
していた。
ビジネスとはいえ、僕の周辺で気軽に外に出かける人が増えている。
内と外の境界はとっくに取っ払われて、グローバルな行動は普通なのだろう。

2015年7月28日火曜日

出版情報誌雑感           1083


「トーハン週報」&「日販速報」を散見。

いまや仕事に直接関係ない出版情報を、昔ながらの癖で通し読みして楽しませ
てもらっています。
この情報誌の主たる新刊案内一覧は素通りして、ジャンル別ベストセラーの書目
を見ながら今の読書傾向を追って見る。
ほかに、出版社情報でこれから出る本や大型企画を知り、社の傾向と勢いを感じ
取る。
ついつい、雑誌創刊や発売日変更に目がとまることがある。
現役のとき、雑誌の創刊準備で長期戦をしたことや、タイトル変更、発売期日トラ
ブルが生じた場合の大変さ加減を思い出す。

もう、2016版、日記、手帳、家計簿、ダイアリーなの、、と驚く。
あと、全ページ広告出稿の出版社を見る。 KADOKAWA目だつな! とか、、。



2015年7月27日月曜日

アメリカン・スナイパー         1082


イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」を観た。
この映画の主人公となる、クリス・カイル語り下ろしの原作本『ネイビー・シールズ 
最強の狙撃手』がある。

この映画が公開されていた3月11日、JR有楽町駅前広場で「岩手日報」被災地
元紙が支援者に現状報告する趣旨の「特別号外」を配っていました。
注目していた映画だったが、この日は観るどころでなかった。
直後に会ったグンゾウさんから、評価相半ばする批評を聞いてもいました。

この映画を仲介して、アメリカの左と右が、プロパガンダ映画だ、歴史の捏造だ、
売国奴!と激突した話題が伝わってくる。
アメリカのイラク戦争、9・11テロを見てイラク戦争に行って、アラブ人を殺しまくる。
そして、戦場から帰るたびに精神と肉体を病んでいき、ついには典型的な戦争後
遺症で除隊する。アメリカの映画や記録によく出てくる帰還兵の暴力、麻薬、殺人
に逃避する姿とかわらない。行き着く先は、銃崇拝!

反戦映画であること、間違いなし。
クリント・イーストウッドの言葉。新しいことを覚えるのは楽しい。老けない秘訣だ! 

(←ブログ2015・3・12 「岩手日報」号外を手に」943)

2015年7月26日日曜日

生きて帰ってきた父          1081

南洋丸(上)&サイパン公学校(影:Pen)
親父からサイパン経験についての聞き取りが、残念ながらほとんどできていま
せん。
なので、残された写真やわずかな書き物からの推測しかできない現状です。

たとえば、彼は民間人最後の乗船で本土に帰還できたが、そのあと出港した
「南洋丸」で帰路についた人たちは、サイパンを離れて1時間ぐらいして米国
の潜水艦に撃沈されてしまったと言っていました。
「南洋丸」は、当時のサイパン航路の花形船で、東京とサイパン間を5日ぐら
いで結んでいたようです。

公学校は、「同化政策」により日本人の子も島民の子も一緒に教育していた。
そして卒業後は、日本の高校に数多くの島民の子が進学している。
同化政策そのものは、植民地支配の典型的教育システムなのだが、南洋諸
島の場合、穏やかな文化の一体化政策であったためか残滓にあまり悪びれ
るものがないのが不思議に思える。
未だ、生活様式や考え方への強権の実態を掴みきっていないからかも知れ
ないが、、、。

(←ブログ2014・6・18 「6・15とサイパン」675)
(←ブログ2015・6・14 「サイパンの光と影」1039)
(←ブログ2015・6・20 「父とサイパン小学校」1045)
(←ブログ2015・6・22 「委任統治と植民地は、、、」1047)
(←ブログ2015・7・17 「サイパンのチャモロ人」1072)

2015年7月25日土曜日

戦後70年に想う。           1080

「野火」(塚本晋也監督)
誕生日が8月6日。
「広島原爆投下の日」ということもあって、気持ちがざわついてくる。

今年は、「70年談話」が注目されているが、関連記事や特集、書籍・雑誌、映
画、演劇、TV、、多角的に目立ってきている。
この状況を認識できるのは、仕事に追われた日常から開放されて、本や雑誌
を読んだりテレビや映画を観たりする「余裕時間」のなせる業なのか、と思った
りしています。

1945年(昭和20年)8月15日の記憶は曖昧です。5歳でした。
そのとき、国防婦人会会長だった祖母に連れられて、村のおばちゃんたちが
作業する「松根油」の乾留所で遊んでもらていた。
転がった松の切り株に登ったりかくれんぼしている風景を覚えている。
松根油のことを「テレピン油」とも言っていたようにおもうが、戦争末期の航空
用ガソリンの代用を造らされていたとは知らなかった。
この現場と、川原の砂地を利用してサツマイモ造りに部落を挙げて精出してい
る半纏姿の女たちの姿の記憶が、僕の戦争体験となっています。

今もその場所が残っているか、帰郷したとき歩いてみるが松根油造りの場所
は製材所に変わり、イモ畑はダムに沈んでみる影もない。だけど、70年前の
情景が脳裏に刻まれ甦ってきます。