2012年10月16日火曜日

「出版OB会」で<大槌の風>への協賛を!







24年度の「出版OB会」が銀座ライオンで催された。
以前から、出版関係、広告代理店関係、新聞社関係の仕事でつながりのあるOBの
親睦団体があることは知るところであったが、昨年初めて昭通のSmさん推薦で出席
した。
参加してみたいと思ったきっかけは、毎年、60人余集まる会員の中に40年以上前
に交流がありながら、地方新聞の本社へ復帰して途絶えている数人の方を名簿のな
かに見かけたからです。
信濃毎日のMs、Kmさん、山陽新聞のIhさん、他に電通Yaさん、とうこう・あいのNh
さん等です。
特に、Msさんとは初めて会ったのが未来社の社長室で、教育県信州の話に始まって
同県出身の丸山真男の『現代政治の思想と行動』から、長野出身の出版人が多いこ
とで盛り上がった日のことを、思いだす。彼とは長野上田支局へ帰った当初は、菅平
スキー場へ出かけると会っていた。それから40余年ぶりの再会で、公私に亘る生活
を披瀝しあったのであった。さらに、二次会は再興なった東京駅の居酒屋で長野新
幹線あさまの指定時間ぎりぎりまで話が絶えなかった。お土産に頂いた手作りわさび、
最高に美味しく食していますよ。

今年の会では、昨年の秋この場所で、3・11被災地の話しをしたときは、「被災地の
子どもたちに読書にいい環境を、読み聞かをせできる場があれば」と、アイデア熟考
中の段階でした。

そしてこの一年で、大津波で壊滅的被害を受けた岩手県大槌町に、この春、石造り
の小さな図書館ができたこと。主宰しているのは佐々木格さんで、その支援を、NPO
法人<大槌の風>の呼びかけをキッカケに多数の方たちが呼応して行っていること。
東京をはじめ全国から贈られてきた絵本や児童書が所蔵されて、町が壊滅で遊び場
の少ない子どもたちが集まり始めてにぎわっていること。
この夏は、東京から高校生が訪ね、被災地の大槌高校生との交流にあわせて園児
への読み聞かせする明るい声が共鳴した様子を知ってもらいました。

Http://otsuchinokaze.blogspot.com/

2012年10月15日月曜日

とどけとばかりに 5歳園児のよさこい!

園児の「よさこいソーラン」が響く


6歳以下園児の秋季運動会に出かけて応援した。
昨年も、世田谷松原のこの園では、3・11被災地の同じ子供たちへの励ましを、
よさこいソーラン舞踊で絆を紡ぎたいと熱演していたが、今年もまた、消えていく
記憶を運動会の場によみがえらせる継続競技になっており、胸にジ~ンとくるも
のがありました。
子どもたちは実際に被災地を訪ねていないにしても、魂を感じるんですよね。
今年は、さらにオリンピック年であったので、模擬競技に鉄棒、重量挙げ、アー
チェリをとりいれて楽しい競技が盛りたくさんだった。
高い完成度をめざす先生も大変だナー と、つくづく思った。!


【ほんの周辺】

*9月30日のことであるが、東京駅丸の内南口前
 の丸善丸の内本店4階の「松丸本舗」を閉店した。
 このアイディア本店を企画した編集工房研究所・
 松岡正剛所長は、3年はやりたい と言ったとおり
 になってしまったことが無念そうだった。
 (彼については、大学新聞会時代から、「ハイスク
 ールライフ」創刊時に交流があった)。





2012年10月14日日曜日

阪神タイガース・最終144試合めの感動!


金本引退挨拶(2012・10・9Gyo影)



Gyoと源ちゃんの猛虎会二人組みが、今年のプロ野球シリーズ最後の144試合目を、
甲子園で観戦!金本知憲選手が21年間の現役生活に別れを告げる引退試合でもあ
った。ヘンな話、なんと、この最終試合の甲子園球場入場者が今シーズン一番の5万
人弱の入りというから驚きだ。僕は差ほどでもなかったが、背番号6の阪神・金本知憲
ファンの凄さに気づかされました。今シーズン途中からの新監督和田阪神のずるずる
失速するサマを目のあたりにして、Gyoは怒り心頭で、タイガース東上のドームも、神
宮も、TV観戦もヤーメタの決意だった。が、最後の最後に甲子園の金本引退試合を観
て、今まで経験したことのない最高の光景だったと。僕は60年余の虎ファンでありなが
ら、実は一度も甲子園球場に足を踏み入れたことがない。彼は2003年の星野タイガー
ス優勝から、節目節目で球場で応援してきていることからして、内なる熱さの違いを息
子に見せつけられたことになる。
鉄人・金本知憲の生き様なのか、最後もフルイニング!打って走って守って、そして、
9回スリーアウト目のレフトフライを自らのグラヴで捕って、3対0でDeNAに勝って試合
終了。出来すぎのフィナーレではないか!
記録は破られるためにあると言うが、破れないであろう凄い記録を記憶に留めておこ
う。2010年4月17日の1492試合まで、連続フルイニング出場だ。年間のシリーズ
試合数が144試合で10年間、打席に立ち続け、守備に着きつづける信念による強い
気持ち!もう一つ、1002打席連続無併殺打もスゴイ!


2012年10月10日水曜日

10月5日(付)に認証される!

再興なった東京駅丸の内駅舎


NPO法人・大槌の風 が東京都で認証されました。
手続きのうえでチェックされる問題点はほとんどなく、縦覧での疑問も皆無だっ
たと報告を受けています。(東京駅コーヒー店にて)
法人に認証され公のアピールする前に、第一目標とした、こどもとお母さんへ本
を送るコトは達成しました。

東日本大震災の被災地への支援はこれからが正念場で大切な時期をむかえる
ように思えます。被災者にとって最も怖れるのは、衝撃的な記憶が忘却のかな
たへ押しやられてしまうことでしょう。毎月、毎日、センセーショナルな国内、外の
緊迫する話題に事欠かないなかで、復興への支援が希薄になる不安に駆られ
る人が多いはずです。復興予算の使い方にしても、一番早くいくべき所にいかず、
使途について疑問だらけの分配がなされています。
東日本大震災の復興にあたっては、最低でも10年、15年、被災を免れた中央
から、ずっと、東北被災地を心底おもい、支援を息長く持続する意思を発しなけ
ればならないとおもっています。
僕が知る限りでも、大槌町の漁師たちがやっと新しい漁業組合を自らの手法で
再建し、漁に出ようと未来を見据え始めたときから、本当に大変なことがいろい
ろ生じてくるでしょう。
特に、男は身近に仕事仲間、漁師仲間を失った喪失感で精神的に参っていて、
なかなか再起がおぼつかない人が多いように見受けます。
自分の内面と向き合うのは、支援者も被災者も相互に同じでなければならない。
支援する側も自分の内なるエネルギーを糧にする以外ないのです。

2012年10月7日日曜日

石垣島からサイパンのこと

サイパン/リーフ左向う石垣島(米軍上陸ビーチ側)


八重山諸島の石垣島について触れたことから、マリアナ諸島のサイパン島のこと
を少し語っておきたい。
実は、僕の父は植民地時代のサイパン、ガラパン尋常小学校の先生で赴任して
いました。
日本統治時代の昭和17年から昭和19年の民間人が最終になった帰船まで、日本
人とチャモロ人へ教鞭をとっておりました。1945年には原爆を搭載したB29がテニ
アン島から発進し、広島、長崎に投下しています。
マリアナ諸島は、今はまさに、グアム島がアメリカの軍事基地最前線であり、第二
次世界大戦終結の原爆搭載機発進基地・テニアン島在りで、僕としては抵抗のあ
る場所です。
が、巡り廻った縁というのか、息子が「サイパン観光大使」としてサイパン島の「サ
イだ!パンダだ!サイパンだ!」の観光宣伝CMに携わったことで、教師だった親
父の足跡を辿ってみたくなり、島を数回訪ねています。
そこで、石垣港の先に在る尖閣諸島の「歴史問題」と、サイパン島の占領の歴史
についてのコトです。尖閣の領土をめぐる抗争は、歴史を時系列でさかのぼって
文献や記録の正当性を出し合う泥試合の様相です。
マリアナ諸島は紀元前1500年から存在したといわれている。マゼランが世界一周
の途中でここを訪ねてから歴史が始まる。その後、スペインが、ドイツが、そして、
1914年、日本が第一次世界大戦でドイツに勝ち、北マリアナ諸島を占領した。そし
て今は、米国自治領になっているのである。
父の足跡については、教育を受けたチャモロ人からも当時の様子を聞いているの
で、後日ふれていきたいと思っています。

2012年10月6日土曜日

談論風発

石垣港(2012・8影)




東京駅・八重洲北口の<北H>で、中学同期のYnと一献の席があった。
日本の表玄関・東京駅の丸の内駅舎が5年の復元工事を終え10月1日にグランド
オープンした。空襲で消失したドームなど赤レンガの駅舎が再現されました。1914
年の創業当時(一世紀も昔)の風格ある姿が蘇った。
この日の夕方も、若者や家族連れで溢れていた。待ち合わせ場所の居酒屋・北Hは
年に一度は行っているのに、一段と熱を帯びる商戦と一変した風景に惑わされ約束
時間に遅れてしまった。
小学校、高校が違い中学の一時期しか一緒でなかったYnだが、深い友人関係にあ
る。転校して初めて会った日から、トップ商社マンとして活躍していた時期を通じて、
今日まで変わらぬ刎頚の友である。
が、会うなり健康問題を皮切りに、尖閣列島に端を発する領土・歴史問題から、家族
と天皇制へ と、毎回変わらぬビール党と焼酎党の談論風発に熱を帯びる。
11月に東京在住、恒例になっている中学(倉敷)同窓会の実施の段取りを決めて散
会しました。

ここのところ、石垣港から目と鼻の先に位置する魚場、尖閣列島が気にかかる。
この夏、尖閣列島に近い八重山諸島へ行ってきました。4年前に石垣島の日本本島
に近い北の岬(平野地区)へ、食文化と環境アセツメントに関心があって、そのリーダ
ー・sMに引率されて足を踏み入れたのがキッカケです。
直接、沖縄独自の祭祀や儀礼について聞いたり訪ねれば、正史と違う琉球の歴史が
見えてくる。
夏には差ほどでもなかったが、石垣島島民たちの尖閣の問題が緊迫して伝わってき
たものだ。普段、関心が途切れがちなコトにも、不安を抱かされる。

2012年10月2日火曜日

多摩川を見て吉井川を想う




60年前には、川でよくカワウソを見かけたものだ。祖父がカワウソの毛皮をなめ
し防寒用首巻にしてくれた。東京から田舎へ帰り、我が家の側を流れる小川や大
川(吉井川)を散策するたびに、それらしき姿を探すのだが見かけることができな
くなった。
ハヤがいた、オンベロがいた、イダがいた、ナマズがいた、浅瀬にはタニシが小
石に吸い付いてた。タニシを拾って帰ると病弱だった母親の滋養汁に珍重された。
裏山の雑木林は、カブトムシ、クワガタ、カミキリムシ、真夏にはセミ捕りの格好の
遊び場になっていた。
今では、長く続いたダム建設反対闘争の末、吉井川は堰き止められ大きな湖に
なってしまった。子供のころ学校から帰ると玄関口にカバンを放り投げて遊んだ川
や里山の風景は一変してしまっている。
今、50年と言われる寿命の末、球磨川の県営ダムの撤去をはじめ、全国のダム
は解体へと向かうものが出てきている。治水のため、発電のため と、手を上げた
のであろうが、今のご時勢になるとなんと無駄なことを必要としたのだろうと思う。
自然、風景は見過ごしてしまえばそれだけのものかも知れないが、あの生き物た
ちを壊滅するような功利性優先のモノ造りが本当に必要だったのかと心底おもう。
小学校校歌は「清き流れの吉井川 鐘が鳴る鳴る呼んでいる 、、、」で歌いはじ
まっていたが、この先少しでも、清流が生きつづけてほしいと思う。