汗びっしょりになってやってきた。
2020年8月7日金曜日
2020年8月6日木曜日
戦後75年/きょう広島原爆の日 2922
![]() |
| 岩波ジュニア新書 書影 |
75年前のきょう、広島は人類が初めて使った核兵器・原爆の犠牲になった。
その事実は消すことはできないし、そこで生起した悲劇はいつまでも伝承され
なければならない。風化させないために、、と強調し、様々やってきた行為や
記憶すらも年月日とともに薄れていく。というよりも無頓着になっていく特性
を日本人は持ち合わせているのではなかろうか。
「核兵器禁止条約」は国連での採択から3年経るも、条約を批准することなく
被爆者の思いを踏みにじってきている。
そしてまた過日には、8・6原爆投下で放射性物質を多量に含んだ「黒い雨」
をあびたひとたちへの拡大認定をすべし、の広島地裁判決がだされた。
被爆国として批准しない理由など何もないし、「黒い雨」救済(被爆者健康手
帳の交付)に向けても躊躇することなく即刻実行力が試されている。
2020年8月5日水曜日
縄文蓮始開 2921
2020年8月4日火曜日
運転免許更新す 2920

運転歴は50年になるが、今回の更新は何回目になるのであろうか。
前回(2017年)から高齢者講習を受け認証を得たうえで、免許証更新をするよう厳しくなっている。
講習予備検査(認知機能)→安全運転の知識確認(座学)→視力検査(静止視
力・動体視力・夜間視力)→運転操作検査(選択反応/注意配分)→実車によ
る運転行動の診断と指導
以上の受講を二日かけてクリアー。
この三年で視力・聴力が落ちていることで結構しんどかった。
こうした経過で、未だクルマに乗ることができるようになったことを楽しみと
しつつ、「ゴールド免許証」復活を目指そうとおもう。スローモビリティで。
2020年8月3日月曜日
高校三年の修学旅行 2919
高校三年の修学旅行は箱根(大涌谷)~東京~日光だった。
東京の宿は本郷の旅館だった。ついた夕方、間組にいた従弟父がやってきてく
れた。この日の夜は自由時間があって、「何処で食事しょうか」といううこと
になって、とっさに「有楽町」と応えた。本郷から丸ノ内線に乗って銀座駅で
降りて、銀座4丁目の「天一」で揚げたての天婦羅お好みコースでギコチナク
食事したのを覚えている。
後に判ったことだが、「天一」は小杉放菴の書だった。
(未来社で、「小杉放菴」を1979年に出版している。)
食後銀ブラしていると、「不二家パーラー」の大きなペコちゃん人形が愛嬌を
振りまいているように今でも残像として残っている。
その後の東京生活でも、このエリアにファミリーで出ると「不二家」につと寄
ってしまうのも修学旅行に縁ありと思うことがある。
東京の宿は本郷の旅館だった。ついた夕方、間組にいた従弟父がやってきてく
れた。この日の夜は自由時間があって、「何処で食事しょうか」といううこと
になって、とっさに「有楽町」と応えた。本郷から丸ノ内線に乗って銀座駅で
降りて、銀座4丁目の「天一」で揚げたての天婦羅お好みコースでギコチナク
食事したのを覚えている。
後に判ったことだが、「天一」は小杉放菴の書だった。
(未来社で、「小杉放菴」を1979年に出版している。)
食後銀ブラしていると、「不二家パーラー」の大きなペコちゃん人形が愛嬌を
振りまいているように今でも残像として残っている。
その後の東京生活でも、このエリアにファミリーで出ると「不二家」につと寄
ってしまうのも修学旅行に縁ありと思うことがある。
2020年8月2日日曜日
真利子哲也の『宮本から 君へ』 2918
最近日本の若い映画監督作品を観る傾向にある。それも真利子監督の『ディス
トラクション・ベイビーズ』に続いて偶然だが二作を続けて観てしまった。
いずれも怒りと暴力描写が不断にある。
純真だが不器用極まりない営業マン宮本(池松壮亮)は、同会社の先輩・靖子
(蒼井優)と恋に落ちる。このイキサツをきっかけに血まみれの恋愛バトルが
勃発する。
とにかく演ずる池松も蒼井もそして元カレの井浦新らが全身役者剥き出しに汗
と血しぶきと絶叫が炸裂する映像こそ、今できる半端ない表現かと納得しなが
らて観たよ。
昭和の純愛映画であれば、男女の情緒的な機微がストーリーの起承転結になっ
ていたが、安穏とした平成の30年が流れたあとの男と女の剥き出しのぶつかり
合いはいまの生き方表出なのか。
(←ブログ:2019・9・17 「『ディストラクション・ベイビーズ』を観る」
2020年8月1日土曜日
夏は夏らしく暑い夏であってほしい 2917
![]() |
| バリアリーフにて |
したことのない自然による脅威に晒された、、。未ださらされている。
被爆から75回目の夏が来る。原爆忌が近い。
先日、広島地裁は「黒い雨」裁判で年を重ねた原告の訴えを認めたが、若い裁
判官の裁決だっただけに一層印象深い。国の定めた降雨域外の被爆者の痛みを
多く聞き取り、歴史に刻んだことに意味がある。
被爆の日からこれだけ時間の年月を経てきたというのに、核を駆け引きの材料
にしようとする国々の動きはやむ気配はないどころか、戦略的補強の兆候が見
える。そんななかでも死の恐怖と偏見に向きあい体験の伝承をつづける姿に、
希望を共有したい。
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