2016年7月7日木曜日

一試合でも多く勝つ!青柳       1429


きょうは七月七日七夕です。
七夕の符に願いを託し、平常心で初の巨人戦に臨んだ青柳投手。

6月1日の楽天戦にルーキー初勝利を挙げた変則サブマリン投法を見て、かつ
ての猛虎のエース小林繁を想いだしていた。
ドラフト5位指名だったが、まっすぐで押す投球と鋭い変化球を武器に一軍に定
着しそうな雰囲気がある。

3連敗で借金10に膨らび上との差が開くばかりで、朝の寝起きの悪いことこの上
ない日が続いているが、きょうは彼の1安打ピッチングと打がかみ合って6対0で
勝つ。久々に爽快な気分でいる。
一年に一度の満願成就ではありませんように。

(←ブログ:2016・3・1 「トリが変わった」1301)
(      :2016・3・25 「143分の1試合」1325)
(      :2016・4・3  「飛んだⅤ打 桜が咲いた!」1334)
(      :2016・5・2  「寄居「京亭」とキャッチャー原口文仁」1363)
(      :2016・6・4 「鳥谷選手の自制心」1396)
(      :2016・6・28 「采配にブレはないか」1420)




2016年7月6日水曜日

神田三崎町と歌舞伎座        1428

ビルの谷間に三崎稲荷神社(2016・7・6影:Tab)
ブラ歩きの記録が頻繁に出るようになっているが、今まで気にならず見過ごして
いた場所に関心がいくようになったと云うことです。

神田三崎町は、以前から知り合いの出版社や広告代理店があって、ぶらりと立
ち寄りすることがある。

きょうも飯田橋の社で打合せの後、ちょっと水道橋駅下車して散策した。
およそ400年前この界隈は三崎村と呼ばれた。現在の大手町から日比谷や新
橋へは入江で遠浅の海でした。
三崎村はこの日比谷入江につき出した土地の端にあったので三崎の名が付け
られたと伝えている。

その後は、三崎三座、東京座、三崎座、川上座や神田パノラマ館ができる賑わ
いの街に変貌していった。いまその面影がないのが残念。
1960年の住居表示で、神田三崎町の名前が消えるのを惜しんだ地域の人が
町をあげて反対して残すことができた。

2016年7月5日火曜日

桜木町駅は「横浜駅」だった      1427

鉄道発祥の横浜駅(2016・7・5 影:Tab)
最近、立川駅から南武線で神奈川駅経由で横浜へ出かけることが月一度ぐらい
ある。今日は、桜木町駅で途中下車してみたくなった。

日本初の鉄道は新橋~横浜間で1872年に歓呼のなかで開通したことは、写真
とともに知っている。
開業時の横浜駅は現在のJR桜木町駅の場所にあったという。このことを知らない
地元の人も多くなってきていると、改札係員が残念がりながら教えてくれる。
東海道線の延長にともない機能の整備が必要で、それに対応するために「横浜
駅」を移転することになり、1915年に同駅は「桜木町」に改称された。

それから100年が昨年で、駅構内には鉄道開業当時の横浜駅(現桜木町駅)周
辺を描いた浮世絵やセピア色写真が展示されている。港横浜に多くの船が停泊
する情景と相まって重層的に想像豊かになる。

2016年7月4日月曜日

有本芳水先生のこと         1426

書影(実業之日本社・刊 影:Sca)
早朝都心に出るとき利用する電車で立川駅までに数校の高校があり、新学期に
入る頃には、初々しい表情に明るく爽やかな姿の通学生に出合う。

ぼくが高校に入学したのは60年余前のことだが、どうだったのだろかと想う。
年老いた有本芳水先生が教室に入ってきて、「現代国語」の授業を始めた初日
を今でもはっきり覚えています。
年のせいか、口をパクパクしながら講義するものだから、すぐに「金魚」のあだ名
で呼ばれるようになった。

後日、岡大新卒の「古文」の先生が、有本先生の『芳水詩集』が出版された当時
の盛り上がりようと、300刷近い増刷を重ねた本のこと、人隣りを語ってくれた。
それから、授業を受ける教室の雰囲気ががっらと一変したように思えた。
大変な先生に出合えたことを、後々まで意識するようになる。

川端竜子、竹久夢二に挿画を描いてもらい、島崎藤村に称賛されていることも、
1960年に復刊された「復刊の言葉」で知った。



2016年7月3日日曜日

水曜会の月例で          1425

御茶ノ水駅ホームから(2016・6・29影:Tab)
久々に会うと話題に事欠かない「水曜会」。

カンさんは、外国からのクライアントとの折衝で欠席のメール。変わらず忙しい
人だ。

ヨッさんから、かねて国政にでも打って出ようかとしていた先輩のミヤワキさんが
静かに亡くなっていることを聞く。
彼の奥さんが信州佐久出身の政治家の娘であるこっとは知っていたが、さら
に稽古事でつながっており、人望のある人隣りまで熟知している隣人づきあい
とは初めて聞く話であって、世間は狭いと思った。

また、一世代下ながらサイマル出版会時代からTAC出版で再起を期してから
も仕事上、「資格問題」の出版企画とバスターの提案を受けて、直々談判した
こともある河添敬幸君の訃報に接し、まさかと一瞬耳を疑った。
早い引退かなとは思っていたが、森さんのログハウス近くの八ケ岳山麓で菜園
など楽しみながら悠々自適な別荘生活の写真付きの賀状をもらっていたので、
節目の決断に感心したものですが、、。 合掌。

ほかにいろいろ情報が出たが、ここまで。

(←ブログ:2015・10・1 「駿河台下の茶話会」1149)
(←    :2015・10・28 「正午から「水曜会」は月末に」1176)
(←    :2016・1・27 「月一になった例会」1267)
(←ブログ:2016・3・30 「眠らない街、新橋」1330)



2016年7月2日土曜日

由緒ある場所/記憶の深層5    1424


「あゆみBOOKS」のある馬場下町は僕が下宿していた懐かしい場所で、近くの
交差点に接して「穴八幡宮」の階段が見える。その対面には、60年前から、今
も暖簾と佇まいが変わらない蕎麦の「三朝庵」が在る。

コンクリできれいに整備された階段を踏みしめながら境内まで上ってみました。
昔は、少し崩れかけた石段を飛び石を越えるステップであがると、土の凸凹に
砂利がばらまかれた中庭があったと思う。
そこの片隅の朽ちたベンチで読書して文章らしきもを書き、寝っそべったりして
過ごした時がある。

そして今では地下鉄早稲田駅になっているが、その入口の所が下宿先だった。
夏目漱石にちなんだ「夏目坂」上り口で、向かいに堀部安兵衛が決闘途上に
一升酒をひっかけたという「小倉酒店」があったことからして、歴史の趣を感じ
たものです。

(←ブログ:2014・4・28 「訃報にそれぞれの思いが、、、」624)
(←ブログ:2014・9・23 「馬場下町の頃」773)

2016年7月1日金曜日

早稲田馬場下の穴八幡宮      1423

境内の楠(2016・7・1影:Tab)
本屋さんらしくて大好きだった「あゆみBOOKS」(早稲田店)を何年振りかで
訪ねる。

出版社を興したばかりの時期とほとんど軌を一にして開店したこの書店は、
100坪に満たないスペースだったが、本のセレクトと見せ方がちょっと魅力
的だった。
そして、社の音楽・映画から人文書までしっかりセールしてもらい、その動向
をもって、ほかの書店へのアプローチのきっかけにしたものです。
この一年足らずのなかで、経営の変動があったことを業界紙情報で知って
いたため足が遠のいていた。
が、店内を一巡してみたところ、フロントの平台から人文・社会・芸術の棚揃
えに然したる変化はなくウムウムと和み未だ期待したいと思った。

そのあと、猛暑日のなか「穴八幡宮」によってみたくなった。

(←ブログ:2014・4・13 「高円寺で「あゆみBOOKS」を発見」609)
(←ブログ:2014・12・1 「新宿区矢来町94番地」1210)