2015年1月6日火曜日

静かな正月松の内だった!        878

御屠蘇&幻の酒(影:Can)

今年は未年で、Gyoは年男と云うわけだが特別意識しているう風もなく、初詣にも
行かず例年の走り始めに多摩リバーをマラソンしていた。
僕はというと、初詣に出かけ、箱根大学駅伝を見て、ハルのバッテング投手をし、
本屋さんに行き、温泉に浸かり、、、松の内を終わろうとしている。

一年のうち最初の月である正月、それも松の内が、昔から一番好きな節気です。
正月の静けさが好きです。
特に今年の元旦は、10年ぶりの雪がちらつきひときわ静かななか、お屠蘇を頂
き、年賀状を見て友の親戚の話をする。眠くなれば炬燵でそのまま横になる。
羽村が都心から遠く離れていることと、仕事の一線を退いたことも相まって、年賀
の挨拶を相互にしなくてすまされることが、何もしないでのんびりできる幸と思う。

ハルは、クリスマスと正月を両天秤のように好む。賑やかさと静けさ、いずれも、
プレゼントとお年玉がもらえ、学校は休みで開放感一杯の共有時間があるからだ
ろう。

2015年1月5日月曜日

年賀状をもらい始めて知った!      877


大学の先輩で、一時期に苦楽をともにした同士ながら、20代後半に旅に出て最近
まで消息が分からなかった人がいる。

空白が30年ばかり経って駿河台下時代の会社を訪ねてきてくれ再会したが、その
間の経緯や内実を詮索することはしなかった。
ところが、今年の年賀状には、大槌町の海鮮工場に勤務先の関係で出入りがあっ
たことがしたためられていた。この奇縁には、驚きました。
彼に、直ぐに連絡して話してみたい気持に駆られるが、どうも電話、携帯を持たない
仙人のような生活をしているらく、さらに、昨年にはがん治療の知らせをもらってい
るので簡単にはいかない状況です。

「勤めていた会社で岩手県が担当でしたので山田線(JR)は月に二度は乗ってい
ました。佐藤善一先生が町長をしていた町役場をおたずねして、いろいろ話を聞き
ました。(『吉里吉里善兵衛』の作者)
魚屋をやっていた時、工場が大槌にあったのも奇縁です。地震後、北三陸には二
度参りました。岩手は心のふるさとです。~抗癌剤の薬害から、手足が不自由にな
り、自律神経失調症に苦しんでいます。」と。

(←ブログ2013・4・17 「赤浜から吉里吉里地区へ」)

2015年1月4日日曜日

年賀状                    876

ベランダから富士山(2015・1・2影:Can)

今年も、北海道、岩手、福島から東京周辺はもとよりの事、長野、京都、大阪、
岡山、広島、四国、九州、沖縄圏にわたって、新旧親交のある多数から一筆書
きの賀状が届いた。

11、12月の年賀状を書く時期に「でん八の本」ができたコトによるのか、本に
触れるたものが多かった。

*『でん八物語』購入しました。僕は68、69年当時は闘争の只中で行ったこと
 がなく、確か70年代に入って、故・大河内さんに連れて行ってもらった記憶が
 甦ります。ありがとう。
*飲み屋さんで時代の流れがあるんですネ。半世紀だからそれもありですか!
*ブログ拝見しています。でん八50周年のイベント写真素敵でした。
*『新宿でん八物語』、おもしろく なつかしく読みました。今年は精神力、忍耐
 力で文章を書いていきます!
*「でん八」本、協働できて光栄であります。
*『新宿でん八物語』を味読、60年代の思い出の数々を改めて思い起こし楽し
 い一時を過しました。
*『新宿でん八物語』面白そうで、ユニークな企画ですね。注文しました。

2015年1月3日土曜日

大槌町浪板海岸              875

新年の浪板海岸(2015・1・1影:Sch)
義娘は二日から大槌町に帰っている。
どんより曇った空の下、今にも雪が降りそうな、白波立つ浪板海岸です。
白く修理された「三陸はまホテルはまぎく」(旧波板観光ホテル)階段の手すり
が見えるが、津波は地階から3階の上まで押し寄せた。

浪板海岸には、半世紀、正確に云うと48年前の夏に陸中を旅したときに、降り
立っています。
その後にも、3・11大震災前に二度、震災後には大槌町を訪ねるたびに立ち
寄っている。運命的に惹きつけられる「場所」に思えてなりません。
(←ブログ2012・1・22 「波板観光ホテル」)
(←    2013・8・26 「浪板海岸駅前の<もりかまど>」)
(←    2013・1・28 「311大津波被災を写真で見るⅢ」)
(←    2012・4・1 「陸中へ 旅の記憶②」)
(←    2013・4・21 「大槌町浪板海岸地区の復興未来図」)
(←    2013・9・22 「陸中浪板海岸 記憶の断層3」)
(←    2013・10・12)「波板観光ホテル」から「三陸花ホテルはまぎく」に。)

2015年1月2日金曜日

駅伝、書初め、初詣            874


早朝から箱根大学駅伝を観る。
あの伝説の第1区一年生ランナーだったW渡辺監督が采配する最後の箱根駅伝
なのたが、往路を応援して観ている限り迫力不足で焦れる。

ハルの書初めにつきあう。

拝島大師に、yuとハルと三人で初詣する。昨年の破魔矢を焚き火供養し、護摩焚
きの前で手を合わす。ハルは何をこの一年に翔けたのだろうか、、、。
夕方だったせいか、人出が少ないように思えた。

賀状のなかに、ブログを見ている、読んでいる、と云ってくれる人が年々微増して
いる。そのなかには、被災地の大槌町に関心をもつ者が多くいて心強い。
遠方の幼馴染から「元気で前向きに活動されていますが、、、うらやましいとともに
どこからあの力が出るのでしょうか?!」、と言われると、恥ずかしくなる。

2015年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます。    873


雪が降る!(2015・1元旦 影:Tab」
2015年元旦の朝、ベランダから定点観測した富士山は雲に隠れて見えなかった。
最近10年、元旦は晴天続きだったが、今日午後からは、風花が雪に変わった。

ドタさんから年始の挨拶あり。スイミングが病みつきに、、。Gyoのマラソンも同じか。
オザワKさんから、今年の味噌の寒仕込みは例年より一ヶ月遅らす、とのヒジカタ邸
からのお知らせが、年賀メールで届く。

夕方、黒く日焼けしたサイパン帰りのハルが、元気よく新年の挨拶をしながら玄関に
飛び込んでくる。俺の7歳の頃は、どうだったのだろう、と感慨に耽る。

今年はブログを365日更新した!    872


ブログ「大槌の風」をはじめて4年目になる。
2012年12月26日の『自著・洋泉社私記』が第一回目のスタートです。

立ち上げたばかりのNPO<大槌の風>の広報として、ホームページを模索
していたところ、ブログの書き込みで代替してみることの提案があった。
その提案者Syが、その場で直ぐに制作してくれ、キャッチコピーの「大槌町の
子供とお母さんへ本を送る様子を、、、」も咄嗟に書き込んだものです。

試行錯誤を重ねながら、4年で872日まで到達しました。
そして、2014年は365回更新しているので、ほぼ毎日記したことになります。
次第に被災地大槌の復興関係の書き込みが少なくなっていることに気付くが
震災を風化させることなく「復興」で継続的繋がっていきたい思いは強い。

最初の頃と最近とでは見出しが違っていたり、同じ言葉を頻繁に使っていたり
自分の語彙の貧困さをまざまざと見るようで気になっています。
、、、の思い出、とか、何の記憶、とか、歳、とか書きながら自分でも軽いなァ
と躊躇してしまう。

ゆく年にまったく悔いがなく、くる年に一片の不安もないわけではありません。
良い年でありますように。
除夜の鐘をきき終えて。

(←ブログ2011・12・26「自著・洋泉社私記」1)