2013年1月7日月曜日

再度、アナログ年賀状について

Sk氏(2012・4・7)


年賀状を頂く相手の方とは、月に数回会う方がいるかとおもえば、50年近く会っ
ていないが賀状のやり取りだけは続いている奇特な方もいます。
年々、メールで新年の挨拶をもらう方も増えてきているが、やはり一枚一枚の賀
状をめくってみることで、消息の一端が知らされる方が想像できてうれしい。

こんな年賀状もいただくようになりました。
八十歳半ばになり老々介護で生活している状況で、勝手ですが年賀状による新
年の挨拶は本年を持ちまして終わらせて頂きます。
賀状お断りは、このような理由の方もいれば、虚礼廃止を趣旨とする方もいらっ
しゃいます。

長いお付き合いの著者Skさんからは急に奥様が要介護の人になり、自分のトシ
を実感しています、と。僕の4月の会でお会いしたときは、全くそんな素振りはな
かったので驚きです。

この新年の賀状で最も多かったのは、<大槌の風>どうか吹きまくってください、
との支援と大槌町出身者から活動への礼状でした。もう少しこのNPOを、実態あ
るものにしたく、トシを排して奮起させられます。

次に多いのが、年初早々堅苦しい挨拶としながら、今年からの政治の行方案じ
て危惧する心境を「新聞」調に認めたものありです。
同じように、毎年数通、賀状いっぱいに6ポ活字で年次活動のレポート風ドギュメ
ントを受け取るのですが、待つ気持ちになるから不思議です。
僕も虚礼廃止を考え、生涯一度だけ頂いた賀状の返事で済ませたことがあるの
ですが、一年一度の相互交通があった方が良いかな、との思いにいたっています。

2013年1月6日日曜日

新年を祝うということ

正月だからこそ、これは何時の正月かと、ふと振り返ってみることがあります。
僕は津山の奥、吉井川をさかのぼって泉(現奥津)に生まれ、5年後には、敗戦に
遭遇する。記憶の始めの正月のお飾りは、祖母が自ら荒縄お編み上げて28日に
玄関に飾り付けられました。同じ日に、庄屋だった車屋(屋号)の親戚の家で早朝
から5臼の餅(丸もちと豆もち)が賑やかに囃されながら突かれたのを鮮明に記憶
しています。
この年の元旦は、大晦日から降り積もった雪が裏の杉垣根から初日の出とともに
はらはらと舞う様でした。

こうして昔の懐かしい回想ができるかと思えば、息災ならざる事情を抱えて正月を
迎えざるを得ない人も多々いるはずです。
震災からの復興の響が聞こえる手ごたえのある未来の正月になって欲しいと願う。
70歳を超えてしまった僕には敗戦後の貧しいながらも復興に向かって明るく活気
のあった子供のころと、311被災の子供たちの無心で元気な姿が重なる。
祝うということは、元来、願う、祈念することへ通じるのだそうだ。願ってもなかなか
成就しないことが多い。でも、また今年も祝った。

ハルの仮面ライダーホーゼの凧(カイト)が多摩川の河川敷に高く舞い上がった。
小さい手で握ったタコ糸がグィグィと引っ張られる手ごたえが堪らないらしく、寒風
にさらされていた。


2013年1月5日土曜日

小江戸・川越の喜多院へ




長い年末年始休みとなったがそれも1日で、松の内も来週月曜日までになった。
江戸の奥座敷といわれた川越市の喜多院へ出かけました。
これまでも神田出版ゆけむり会でそばツアーしたり、別の日には蔵作りの街並み
を散策して「時の鐘」を眺め、鰻を食して帰ったこともあります。

本堂には徳川家光が生まれたとされる「誕生の間」があり、天井には狩野探幽が
描いた春夏秋冬の草花が散りばめられている。隣の書院には三大将軍家光の
乳母である春日局が使用した部屋に入ることもできる。
喜多院は1638年の1月に、川越城下の火災で山門を残して焼け落ちてしまった。
ところが、家光は再建に力を入れて、その年中に終えてしまうという異例の早さだ
ったらしい。
この再興の速さを可能にしたのが隅田川と新河岸川を機能的に使った舟運搬で
建築資材を江戸から運んだことによる。
草野球で大宮河川敷グランドへ行くときこの新河岸川沿いを車で走るが、かつて
明治初期まで、江戸から東京の物資や文化を交通する重要な役割を担っていた
面影を、今では想像することしかできない。

前に訪れたときは、境内に在る500羅漢に圧倒されました。
色んな顔の表情をした石仏が迷路のなかに起立しているのです。静謐な安らかな
気持ちで眺めていると、確かに言われている通り、誰かに逢えるという話に符合す
る羅漢が起ち現れました。
それは、幼少の頃大変可愛がってもらった母方の祖父で濃くて長いまつげと笑っ
た表情がそっくりだった記憶があります。苦しいときもユーモアと笑いを絶やさず、
他人にたいしてめっぽう親切なお祖父ちゃんでしたが、、、。また来るからね、と言
って喜多院をあとにしました。


2013年1月4日金曜日

正月について 200



年々、年始客も少なくなり、正月は子供、孫たちが集まる気の置けないイベント
になってきました。
この三が日は、元日ぐらいゆっくりしようと思ってたところ正午前に、息子たちと
孫ギャオスの襲来があり、急遽お雑煮とお屠蘇で新年会。

わが田舎美作の雑煮の食べ方は丸もちを煮てするめだしの澄まし汁をかける。
具はシンプルで、しいたけ、大根、ほうれん草、なると巻き、するめ、柚子、セリ
に、花カツオをふっていただく。自分の歳だけ食べれば元気になるといい、十数
個のおもちを別腹だといい食べる者もいました。
最近では、こうしたハレの儀礼はめっきり退化してきていますが、やればやった
で子供たちも乗ってくれるので、先祖がえりして楽しんでいます。

2日目は、箱根大学駅伝を第一区のスタートから観る。花の最長の2区で結構
ドラマがあるが、今年のレースは淡々と進み、箱根の山登りで棄権校が2大学
出てしまった。
一年に一度の晴れ舞台で、チーム自体失格の歴史的記録を残すことになりる
選手の心情と後遺症を憂う。
ハル、書初め。三、四、五、六、七、八、九。
毎年除夜の鐘を聞き終えて初詣していたが、今年は午後からハルを連れて出
かけました。ダルマ市もあって大変な人ごみだった。

3日目は、駅伝の復路をチラチラTV観戦。日体大がノーシードから劇的優勝を
飾る。早稲田は往路2位から総合で5位に沈む。かつて早稲田で一緒のランナ
ーだった渡辺監督と櫛部率いる新興城西大の最終区のデッドヒートはドラマチッ
クな展開でした。
Gyoの、新年初走り20キロ。その到着点であるつるつる温泉で待ち合わせし、
会食する。




2013年1月3日木曜日

ほうでなす! 199

ほうでなす・マスター(2012・12・28)

暮れの28日は、居酒屋の主人をファンとする居酒屋に集まる人の居酒屋による恒例
の忘年会があった。
この忘年会は、12月28日固定で例年、職種も年齢もまちまちの10人前後が集うの
ですが、今回は福島被災地へ帰りを早めた大学教授、日頃の多忙を癒すため温泉に
出かけてしまったNPO組織の原発行動隊者らがいて、宴はこじんまりしたものになった。
縁は奇なるもので、この会の出席者の一人節ちゃんから大槌町の被災者が経営する
新宿の「ジャズの店」を知ってるよ、との情報が飛び出しビックリした。
3時間余の忘年会の後、酔っ払った勢いで早速、その店を訪ねました。

大槌町安渡出身・忠丸さんのJAZZ BAR「ほうでなす」です。
新宿末広亭の並びに、ジャズファンにはこたえられない佇まいで在りました。
昨年、足を踏み入れた大槌町の古くから栄えた漁村・安渡の出身者でした。3・11の
大津波で家屋はもとより姉妹を亡くされていました。遠隔地ゆえに大槌への行き来は
ままならないようです。
大槌(安渡)には岬の高台に大槌稲荷神社(陸中国大槌郷総鎮守)があって、震災の
被災者数百人の避難場所になり大釜の炊き出しが盛んに行われた。佐々木さんに連
れられて、十王舘勲神主から津波襲来の様子、直後の避難状況、避難生活の実態を
聞き入ったのである。
この詳細は追補聞き書きでまとめたいと思っています。
忠丸さんの姓に舘が付き、珍しい十王舘さんの舘との関わりを訊ねたところ、何らかの
縁もあるようだった。
何れにせよ、諦めることなく前に歩む大槌町の人と新宿で会えたことは奇遇でした。

意味を大槌高校出身の娘に聞いたところ「どうしょもないな~」でした。

2013年1月2日水曜日

ネット全盛の時代にアナログ年賀の間柄はうれしい!

瓦礫が残る大槌湾


一枚の年賀のやり取りで、感動を味わえるモノがあります。
その中に、大槌町の「森の図書館」に大量の児童書や翻訳書を送っていただいた
Aoさんから、「今年は是非、大槌町へ行き図書館を訪ねるのが目標です。」と新年
の挨拶に添えられていました。
大学勤務のAoさんには会ったことも、声を聞いたこともないのですが、寄贈してい
ただいた何百冊の書目からして素晴らしさが想像されます。多忙を割いてのお出か
けのようですが、被災地支援の実感が得られることを願っています。

洋泉社設立のころに一度会って以来、年賀のやり取りだけで30年になる大学同期
のIkの今年の年賀とメールが衝撃的だった。
通年もらう年賀状のほかに、僕の年賀状「今年は一度お会いしたいものです。」 に
対して「いよいよフジモリもそういう心境になったのか。」と、メールをもらった。
彼とはワセダで当初、勤務先を訪ねたり組織活動も共にする間柄だったが、早い時
期に袂を別って長きに亘り直接の交流もなかった。
ところがこの度の内容は、寿命について、百一歳まで生きたお母さんについて、自裁
をめぐって、自らの脊柱管狭窄症の疾病について語り、そして「あのときに会ってお
けばなあ。」と思いたくないから、暖かくなったら会おうとあいなった次第。

もう一枚の賀状は、雪の京都丹後味土野の友人からで、先の僕のブログ「大漁旗を
京都丹後から大槌町吉里吉里へ」に、彼の知人記者・塩田さんが関心を示してくれ、
大槌町へアピール頂くことになった知らせだった。

2013年1月1日火曜日

迎春!  197

中央が夕日に沈む富士山(2013年元旦)

我が家から真白き富士の峰、眺望!!
除夜の鐘秒読みの時間があって、元旦を迎える。
正月を穏やかにほんわかした気分で迎えることもあれば、昨年のように祝賀気分
には到底なれない時があります。今年は、迎春!ぐらいは言ってみたい。
元旦だからといって、とりたてて何かあるわけではないのですが新しい1年の時間
刻みが始まりるとするならば、未だ退化だけはしたくないと思う。
凡庸ですが今年もまた マイペースで出来ることを心がけていきます。

大槌の風の活動を、協賛者の絆を頼りに更に一歩進めます。
遠隔の被災地・大槌町復興の絆を固いものにするために、東京在で報告会、講演
会、写真展、ボランティア・ツアー(観光もよし)などに取り組む。
行政機関、企業の奉仕部への支援要請に動きたいと思っています。