2012年2月8日水曜日

2・8

ひょこりひょうたん島のモデル:蓬莱島(8月)
巨大津波で流されてしまった蓬莱島は燈台は島のシンボルとして町民に親しまれてきた、
が土台の機械室だけを残して流されてしまった。島と対岸をつなぐ約350メートル防波堤
も流され、現在は船でしか渡れない。赤色を基調とするのが条件で新しいデザインも決ま
り、今年中には新燈台の雄姿が見られるはず。
僕は、まだだれも考えていない提案を密かに薦めている。『ひょっこりひょうたん島』(蓬莱
島)と「モルツマーメイド島」(エクアドルのガラバゴス島)を姉妹島にすることで、こどもたち
に夢をあたえたいと。
友人カリスマプロデューサDotaが巨大プロジェクトで数々の成功を収めてきた「堀江謙一
ヨット単独航海」の航跡と、その仕掛けの裏側をあますことなく開示するノンフィクション企
画を、いま準備している。
火山岩でできたモルツマーメイド島は、周囲70メートル程で潮が引くと二つの島になるが
、、大槌湾に浮かぶ蓬莱島とよく似ているということだ。地球の裏側に同じようなスケール
のひょうたん島があることは奇縁だ。
今日、豆香房でDotasaさんと会ったが、コーヒーを飲みながら世界地図を指さしおしゃべ
りする迫力に聞き入った。
エクアドル政府との「モルツマーメイド島」命名にいたる交渉のやり取りも面白かった。

2012年2月6日月曜日

2・6

江岸寺本堂/内に横転した自動車
よ~く目を凝らせて視ていただきたい。
焼け落ちた江岸寺本堂に巨大津波に押し流され漂着した自家用車の残骸が。(6・6撮影)
8月に再再度訪れたときには取り壊されてさら地になっていた。あまりにも無残な光景を早
く消し去りたかったのだろうか。
8月6日に 多くの檀家の焼きただれ崩れ落ちた墓石の掃除に、東大院生、東海大生の
ボランティア150名余の人と取り組んだ。このとき一緒させてもらった方は、東経大F教授、
就職が決まったばかりのT君、繊研新聞記者Kさん、中国人の東経大院生、学生に、僕と
東京から車で一緒に来たM・T氏だった。
偶然にも ボランティアの瓦礫掻き出しの指定場所が、義娘S家のの菩提寺だったのだが
奇縁を感じた。

【批評&コメント4】
*洋泉社の社名の命名に始まり、社会世相・出版
 界情況を織りまぜながら御社の変遷が手に取る
 ようにこと細かく記述されており、藤森さんのご活
 躍がにじみ出ておりました。同時期に業界で活躍
 された方々には、この上なく参考になる書と思い
 ます。                      O・K

*在職中に種々お世話になった方々の名が、まさに
 陸続きとして現れ、懐旧の情さえ催します。同時に
 貴兄の八面六臂のご活躍が歴然としております。
 本年は同級生のK・H兄ととりわけ連絡が繁くなり、
 辺見庸氏の本と二、三冊読まされたのですが、その
 彼が御著に名を出現しているのに、些か奇縁を感じ
 ました。愚生は在学中わずか一年程ブントに居ただ
 けですが、分派後の一方に居た彼とは特別な交際
 はなかったのですが、最近しばしば話し合います。
 古希を超えて老人たちのこぼし合いです。
 島津書房の村瀬兄は伊那にも訪ねてくれておる分い
 載いています。くれぐれもご自愛を。      A・S

2・5 二年目の味噌作り

囲炉裏
二年目になる、北杜市の山麓にある土方邸の味噌作りに参加する。(土方さんはこの別
邸へ移り住む前は、紀伊國屋書店の西日本統括支配人をされるなど、全国の紀伊國屋
書店を見てきた)。
中央高速の須玉で降り 日照時間が日本一多いといわれる明野に隣接する白樺林の中
にたたずむ土方さんの家に着く。すでに 味噌作りが始まっていた。
青豆6キロ(水につけた後の重さが元の重さの約3倍にる)を2時間余かけ炊き込まれた、
いい匂いが小屋にたち込めている。豆は家の前の畑で秋に収穫された良品。
煮あがった豆を電動まめ専用ミキサーで破砕しござに敷き詰める これに米糀6キロと
塩を混ぜ合わせて 人肌に熱が発散されたところで ソフトボール状に固め 甕に投げ込
み空気を抜くように押さえ込み密封して完了。
午後から、土方夫妻、渡辺K、小澤K、新藤夫妻と連れ立って、甲斐駒ヶ嶽の麓に湯煙る
白州・尾白の露天(赤湯)に浸かる。
夜の席で<大槌の風>をアピール。


【読書の周辺】
『福島原発事故をめぐって』山本義隆著
原子力エネルギー(核力)を、著者の専門とする科学史
から拒否を言う。小冊子ながら鋭く説得力があった。



2012年2月4日土曜日

2・3 落雁を送る

壊滅した浪板海岸駅前の和菓子屋さん
昨夜帰宅すると太巻すしが作られていた。今年の今日は恵方巻(太巻)を 北北西へ進路を
とれ ではないが、この方角へ向かって丸かじるすると幸運を呼び込めると言う。被災して
呆然と暮らす義母が一日でも早く 元に戻れないまでも平穏を取り戻せることを願った。
夏、ボランティアで言ったとき陸中山田線の浪板海岸駅前に仮設店舗をいち早く再建したお
菓子屋さんがあり目を引いた。
気品のある女将に緑茶をたててもらい、なにげなく出された創作落雁がそれはそれは美味し
く 疲労を癒してくれた。
そして 今日、神田すずらん通りにある老舗文銭堂の銭型最中と落雁を93歳の御祖母ちゃ
んへ贈った。

【批評&コメント】
*長い間、ご苦労さま。俺のほとんど知らない、
 豊かな人脈のなかに、故人となった何人かの
 名前を見出しハッとします。また暖かくなったら
 会いましょう。
 「大槌の風」のことも聞きたいです。出口君の
 こともあります。では、御礼まで。
                         K・H

*一気に拝読しました。一見、素っ気ないような
 「作業日誌」的体裁でありながら、読み進むに
 つれ、あえて出版理念や論評などの主情を抑
 えた著者の意図が成功していること、そしてこ
 れで十分に洋泉社の27年史として成立してい
 ることが理解できました。
 と同時に、これは藤森さんの奮闘史でもあり、
 出版へのレクエムであることも伝わってまいり
 ました。
 一方、ご著書の中には、私も存じあげる方々の
 名も散見されてなつかしく、私個人にとっても、
 ”いい時代”のレクエムたり得ました。
                    ライター・M・K

2012年2月3日金曜日

2・2 丹後半島・味土野も豪雪

囲炉裏ではありません_
丹後半島の味土野(ガラシャ隠遁の場所)に住む木工・漆器職人の古い友人であ
るオオマス・M君に電話した。2メートルの積雪のなかの囲炉裏で暖を取りながら
ちびりちびりやっている様子が伝わってきた。京都の奥座敷、丹後地方は北陸地
方にひけをとらず雪深いところであることを知っているので、閉じ込められているの
ではなかろうかと心配になった。雪が降り続くなか日中は住居家屋と作業場屋根
の雪下ろしでヘトヘトで疲労困ぱいだとか。
彼は山奥の廃屋を借り受けて20数年前に住み着いたわけで、数年前まで数所帯
あった家もなくなり、今ではただ一人でどくろを廻す職人になっている。昨年12月
には、銀座で三年ぶりの個展を催して評判だった。
出身が宮城県古川で、今回の三陸海岸を襲った巨大津波被害に心を痛めており、
僕の大槌入りに対して関心を寄せてくれている。
漆掻きで東北へ出かけてきたときに一緒に三陸沿岸を訪ねよう。

【コメント&批評】
*記念会に臨席たまわり、まことにありがとうございま
 す。『洋泉社私記』感動いたしました。
 洋泉社27年の軌跡とともに、不肖小生の生の一コ
 マが浮かび上がって来て、胸に迫る思いでした。こう
 いうメモ風の「私記」をふくらませて、一種の自伝を書
 かれたなら、とても貴重な出版界の記録になるのでは
 ないか、などを考えました。
                       詩人 S・K

*私記にして社史というのは、やはり創業者の書かれ
 たものだからでしょう。リアリティ説得力があります。
 私どものように児童書だけを出版していると、販売方
 法やしかけも限られてきてしまいますが、洋泉社さん
 の幅広い出版ラインは様々な販売上の工夫をされて
 いることがよく判ります。面白く、参考になりました。
 多くの方々の逝去も時間の過ぎゆく様を感じさせてく
 れます。それにしても出版界が縮小しはじめた1997年
 の次の年から、新刊と増刷の数が逆転してしまうのが
 やはりそうなのか、という感慨にとらわれたことでした。
                            I・M

2012年2月2日木曜日

本を送りたい という仲間が、、、、

風の電話近影
学生時代からの尊敬する(先輩)Y・i女史から 新年の挨拶状で〔森の本館〕へ
文学全集を寄贈したい との申し出に返事が今日になってしまった。
各方面からの届く本を、大槌の佐々木さんも喜んでくれるでしょう。
彼女は、冊子「激震・大津波・炎の記録─東京、気仙沼、石巻REPOET」を遺して
いる。
3・11地震帰宅難民の記から始まって、被災から40日目には、現地に立ち目で
見るジャーナリスト魂でボランティアに入った心境、そして、多くの土地の人々の
呟きから、ちょっとした会話のなかに悲哀と活力の兆しを感動的に聞き書きして
いる。自分のデジカメで撮った写真が挿入されているが、胸に焼き付けられる。

【『私記』へのコメント&批評3】
ご著書ご恵贈いただき、ありがとうございました。
知ったお名前がいくつも、しかも別のきっかけで
おめにかかった方であったりして、何度も驚きな
がら拝読しました。作家とのおつきあいから、ほ
んとうに細かい出荷条件まで、出版社・出版人の
著作は多々あれど、これほど脚色のない、リアル
な記録を、私は未だかつて目にしたことがありま
せん。
洋泉社の社名が埴谷雄高先生のご発案であっ
たことも恥ずかしながら存じあげませんでした。
出版の仕事を初めになった1962年は私の生ま
れた年で(実は1964年ですが)、洋泉社設立も
私のトーハン入社がほぼ同時期です。そのような
わけで、書かれた内容が自分の記憶とシンクロし
て不思議なご縁を感じます。
考えてみれば、、藤森さんのおつきあいの広さ、
豊かさを驚くにはあたらないのですが、それにして
も、ああ、ここまでしていらっしゃたのか、と感服申
し上げた次第です。私ごときにまで数行を費やして
下さって恐縮いたします。(金田万寿人の万が、時
時抜けています、、)(他の人からも指摘されました,
カナダさん御免なさい)。
和田タイガースはどうでしょうか。和田は好きですが
なんとなく中村勝広時代を憶い出し、う~ん、という
気もしております。              かしこ
              (現・出版流通評 K・S)

2012年2月1日水曜日

1/31 読み聞かせで被災地を巡回する志茂田景樹




志茂田景樹氏には、洋泉社で『限りなき階段』(葛城四郎著)を刊行した
1993年にその出版記念会で会ったことがあるが、その後彼は「よい子
に読み聞かせ隊」を結成し、これまで1500回以上も全国で読み聞かせ
を行ってきている。この度も岩手陸中沿岸部の被災地に入り、精力的に
子どもたちに接している。独特の派手やかなファッションでちょっと違和感
があったが 子どもたちの人気者になっている。被災現地をワゴン車から
降り立って歩き、廃墟のなか瓦礫に囲まれていると 胸をグイグイしめつ
けられているような心地で言葉もない と。
彼が小説家とは別に一大決心をして、15年前この読み聞かせキャラバン
隊をおもいつき、打って出たとき、少し羨ましい気持ちになったものである。
今進めている<森の本>も、読み聞かせも組み込んでいるわけで、勉強さ
せられるところがある。
【『私記』に寄せられたコメント&批評2】主文のみ(抄あり)
*よく、日々の動きを書き留められていたのに感動し
 ます。折々の情景が思い出されて、私の仕事を振り
返らされて、しみじみと読ませていただきます。
K・K

*御著書の完成 おめでとうございます。まさに 藤森
さんしかできないお仕事だと思います。 私は勝手に
 ;洋泉社精神のリレー;をするつもりで言視舎をやって
参ります。                      S・N