大津波被害から1年3ヶ月が過ぎて、ようやく戻ってきたのが買い物だろうか。
一頁堂書店が入っている、ショッピングモール・シーサイドタウン・マストが、釜石
から大槌町へ入ると最初に目に飛び込む。昨年暮れまでは、赤い鉄骨がむき出
しで駐車場は、ぺしゃんこになってみる影もない自動車と瓦礫の山と化していた。
再興されたマストには、高台にある大槌高校で仮営業していた銀行と新しく創業
の一頁堂書店(60坪)が優先的に入居出来たらしい。
大槌町には金崎書店があったが、ご夫妻とも亡くなられ、店は全壊で先の見通し
はたたないままでした。
そんななか、サラリーマンだった木村薫さんが奥さんと一念発起で始めたのが一
頁堂書店だった。マストのなかの珈琲店で、店長の薫さんと話したが、僕のブロ
グも見てくれており、初対面とは思えなかった。
全くの素人から始めた戸惑いについて、トーハンの親身な支援体制とか、土曜、
日曜日、祭日以外の日々は未だまだ人出がなく厳しい売り上げが続いている状
況とか、被災の子供さんにサービス券を提供し支援していることとか、経営は厳
しいが本を手にするこどもの笑顔を見ると未来への夢が膨らむ、、、と、熱く語っ
てもらえた。
店内を見て回ったが、児童書、学習参考書、食関係、ガーデニング、野菜作り本
など実用書と勿論、3・11本が、しっかり平台に、棚に構成されていた。
大槌町に根ざし復興をめざす素人店長の挑戦に、何か本屋さんの原点を感じた。
森の図書館とも、なにか連携できないか模索を始めているところ。
2012年5月30日水曜日
2012年5月28日月曜日
大槌行き・4日目
| 江岸寺から大槌病院を見る |
義娘の菩提寺・江岸寺へ墓参。
檀家が多く広大な墓地は未だほとんど復興されず、墓石の多くは倒れたままの状
態で痛ましい。
町中は菜の花の黄色が自棄に目につくが、墓石の花筒に花が供えられているのは
限られていた。被災者の三割近くの人が町を離れ、大多数の方が仮設住宅での生
活で弔いもままならぬ状況だと思われる。
午後からは、再再度、森の図書館を訪ねる。
凸凹の石の家の側面に固定された手作りの鉄製看板が、館のイメージに溶け込ん
で素晴らしい。
グリーンの下地にゴールドで森の図書館と書かれている。文字の下には同じゴール
ドのふくろう親子が枝に止まっているデザイン。この下で佐々木さんと写真に納まる。
佐々木さんに案内されて館内に入り閲覧しました。
こどもにお母さんが読み聞かせするスペースも、決して広くはないがソファーが置か
れくつろげます。
そして、なんといっても、外庭に置かれた白いテーブル、木立のなかにあるベンチで
自由に読書できる環境が演出されている。
僕は、高校のとき倉敷から通学していたが、中間試験、期末試験を終えると大原倉
敷美術館の二階ソファーに埋もれ、ゴッホ、ドガ、モネー、シャガール、ゴーギャン、
マチスなどの絵のなかで過ごす数時間が最高に好きだった。
2012年5月26日土曜日
急におもいたって 谷川岳・ブナ林へ
| 夕方の谷川岳 |
朝、どこで美味しいものでも食べようか と話しているうちに、水上あたりまで出か
けることに急遽なった。
青梅Jから関越を走り水上の道の駅・川辺で一休みして、谷川ロープウェイ乗り口
に着いたのが1時半。そこから一ノ倉沢へ向かう車輌禁止の林道をゆっくり登った。
数年前に青森と秋田の両県にまたがる白神山地のブナ林(世界最大の広さ)と五
色沼を見て回ったことがあるが、谷川にもわずかなエリアでブナ林が見られる。き
らきらした新緑と樹皮が象の足のまだらぶち模様で判別できるブナの原生的林立
を見ることができた。
この森では他に沢山の種類の植物や動物が生息している。
一ノの倉沢の手前の沢から残雪の勇壮な谷川岳を撮った。
谷川・天神平には、息子が4歳から10歳ぐらいまで、(35年前後、前)日帰りスキ
ーに来て楽しんだのが懐かしい。当時のロープウェイは4人乗りの小箱だったが今
ではハイスピードのゴンドラに変わって運行されていた。
| 谷川岳のブナ |
なって年輪を重ねることと一にして、充実していくであろう図書館に期待したい。
大槌行き3日目(5・11)
今回は、<大槌の風>の会員で広報担当の一人、S増田さんの大槌町安渡での聞
き書きをお届けします。
被災地の、こどもたちとその父母へ読み聞かせと、自由に読書ができる森の図書館
が 大槌町波板にオープンした。その開館したばかりの佐々木さんの私設図書館を見
に出かける僕に、同行の要請があってお供したのが増田さんです。
11日、午前中の仮設住宅における雑穀普及&試食会の後、午後から約2時間半に
わたる、大槌町公民館安渡分館長・関Y氏の聞き取りを増田さんがした。僕はもっぱ
ら質問役だった。
関さんが自家用車に寝泊まりしながら、フル救援活動に献身的に係わった様子を話
す臨場感溢れる言葉に圧倒された。
| 関Yさん |
聞き書き・被災地からの風「大槌の風」1 2012.5.9~12
「命の釜 800人救われた 岩手・大槌」
このタイトルは2011年3月26日の朝日新聞夕刊に載った見出しである。ここに載った岩手県大槌町 の「命の釜」の話を聞きたくて、この記事を後生大事に保管し、大槌町 の安渡地区を訪ねたのは震災後1年2カ月がたった2012年5月11日であった。
「命の釜」の存在
安渡の「命の釜」は安渡二丁目の自主防災部の人たちが行ったもので、新聞記事でも触れている「三年前からの炊き出し」訓練は毎年3月3日に行っていた。チリ津波をきっかけに避難訓練がこの日だったからである。この日から数えて9日目に東日本大震災が起こり、大津波に襲われ、町は高台とその周辺を残して全滅した。避難所となった小学校は高台にあり、現在は幼稚園と公民館分館になり、校庭に第二仮設住宅がある。
安渡二丁目の「命の釜」で被災当日に炊き出しが行われたのは30キロの米であった。「命の釜」は一度に炊ける米の量は30キロであったが、15キロずつ二度にわたって炊いた。最初は「メッコメシ」になった。二回目はうまく炊けた。15キロという大量の米を炊くには技術が必要なのだが、一回目は大量の米を炊くのに慣れない人たちが炊いたかららしい。二回目のときには給食センターの職員がきて、大釜の中の米をかき混ぜながら炊いたので、柔らかくうまい飯になったという。(増田注:昔、大勢の人たちが集まって食べるときには大量の米や雑穀を炊く必要があったが、その時の炊き方は穀物の芯が残らないよう、一様に炊き上げるには、かき混ぜながら炊くか、沸騰した湯のなかに穀物を入れて炊く湯立て法の炊き方をした)。
震災前から毎年炊き出しの訓練を地域で行ってきたにもかかわらず、二度に分けて炊いた炊き出しの第一回目がうまく炊けなかったのはどうしてかわからないが、防災部の炊き出しの代表者であった黒沢○子さんが震災で亡くなっていたこともその一因であろう。ここには教訓の第一がある。
炊き上げた飯をたこ焼きほどの大きさに握り、避難してきた人たちに配った。ここに避難してきた人は約800人といわれていた。安渡だけではなく、隣の集落はもちろん、
大槌の町や釜石の町からの避難者もいた。飲み水は近くの清水から汲んできたが、一人に配付される水の量はわずかで、ある所ではペットボトルのふたに1杯の水であったという。
「命の釜」は安渡小学校(現公民館分館)に保管されていた。ガスボンべ付きの羽釜である。米を保管していた倉庫もその安渡小学校敷地内にある。倉庫の鍵は常に小学校のそばにある町内会長の佐藤さんの家に置いてあった。ここには災害時のすべてが備えられていた。高台で避難所である小学校という公共の場に、食料保管庫と鍵と炊飯用釜がそろっていた。災害があればみながここに集まっていた。また、小学校には調理室もあり、炊飯ができた。この釜は宝くじの補助金によって買ったものである。他に大きな鍋も寄付されて
両方を使うことができる。
12日からの食料補給
備蓄していた30キロの米を震災当日に炊き出して使ってしまった安渡二丁目の自主防災部ではその食料補給に忙殺した。その任に当たったのが関洋次さん(大槌町 公民館 安渡分館長)で、12日の動きから見てみよう。
安渡地区の裏山から峠越えで金沢経由土坂峠を越え、立丸峠を経て遠野市 に入った。スーパーニトリで米600キロを店長決済で買って安渡にもどった。安渡に近づくと、左右の山は火事で、町のあった下を見ると真っ暗闇とごみ・ガレキの山であった。600キロの米を積んだ車は後ろが沈み、運転席は上に持ちあがっている状態で山を下りた。
13日に大槌町 の生涯学習課長とともに岩手県庁に行き、関さんの車を「緊急車両」にしてもらった。震災の前日10日にガソリンを満タンにしていたのも幸いして動くことができたか、ガソリンなどの物流が悪い中で、常に満タンすることができた。大槌のガソリンスタンドは津波で全滅していた。13日・14日は北上市 と盛岡市 に行って、電池やろうそくなど生活必需品を入手した。必要物資を手に入れるのにもっとも苦労したのは、女性の必需品であった。これは女性店員に頼み、見つくろってもらった。第一日目から三日目までは食と住環境をなんとかすることに夢中であったが、四日目からは衣類の調達が必要であった。15日・16日と駆け回って生活物資を調達した。自衛隊がやってきたのは17日、18日であった。つまり、約一週間は自分たちですべてをやってきたのである。
高い防災意識はどこから?
私が昨年3月26日の新聞記事を読んでもっとも関心をもったのは、地域で3年前から防災訓練をして、炊き出しをみんなで実際にやっていたことにたいしてであった。大量の米の煮炊きは実は大変な苦労を伴うものである。それをやっていたということは、防災意識の高さを地域住民が持っていたからこそできるものであろう。その高い防災意識はどこから来たのか、このことこそ大切なことだと思ったのである。
日本には災害にあったときの備荒貯蓄の思想とそれを実際に行う備蓄倉庫があった。古代からあって、中世、近世、近代とさまざまな形で存在した。公的なもの、また地域の自治組織による備蓄倉庫などである。近代では「郷倉」「御倉」などと呼ばれ、昭和十年代まで機能していた。「郷倉」の建物が福島県などのように現存している地域もある。安渡二丁目の人たちの防災意識の高さは、近代の「郷倉」の意識を継承したものか、と私は考えて、関さんの安渡の話を聞いていた。昭和9年東北大凶作後の昭和11年には岩手県内で約1131庫の「郷倉」が存在したという。その先人の意識を受け継いで公的建物である高台にある小学校に備蓄倉庫を作り、米を30キロ保管し、毎年の訓練も怠りなくしてきたと推測していたのである。
私のその推測を関さんにぶつけると、思わぬ返事が返ってきた。
「郷倉は農村地帯のもので、大槌は漁村なので、備荒貯蓄の倉はない。昭和8年に大津波があっても、漁村には備荒貯蓄の(政府の)施策がなかった。これは農業よりも漁業が一段低くみられているからだ」「だから、漁業者は自治体をたよらず、自分を自分たちで守れ、と言ってきた。ブラクごとに守るわけで、だから結束が強い」
郷倉をめぐって、漁村と農村の政府・自治体による差別を的確に指摘されて、言葉にならないほどの衝撃を受けた。
安渡二丁目の地域はもともと自主的な地域活動を行ってきた。そのための自主的リーダーの育成もしてきて、災害時の炊き出しの訓練も食生活改善協議会の会員を中心にやってきた。
関さんは「津波が来ると思って訓練しないとだめだ。本当に来る、と思ってしない訓練では行事になってしまう。いつも本気で訓練してきたから、今回、少しの時間も無駄にしないで行動することができた」という。
2012年5月23日水曜日
訪問力を発揮して佐倉へ
今月、10日ばかり大槌へ行っていたことをメールで前日に伝えたところ、様子
が聞きたい と返事が返ってきていた。
大病に冒されていた彼は、昨年7月末に陸中海岸沿いの津波被災地を一度、
見ておきたいと、大槌町から南下して石巻まで足を運んで、壮絶な現場をつぶ
さに目に焼き付けて帰ってきていた。
会って第一声は、日食を見た、、、だった。佐倉では、曇っていて金環日食のピ
ーク時を見ることができず、復活半ばから見えたようで、我が羽村がピーカンの
晴れ日に恵まれ完全に見ることができた感動をしゃべると ちょっぴり残念がっ
ていた。
次に大槌町の様子につてだが、僕が訪ねるごとに撮ってきた定点写真を見なが
ら、彼が先に見た町役場、図書館、江岸寺周辺が、瓦礫が取り除かれこぎれい
になったぐらいで、復興が見えてこない変わらぬ風景に愕然としていた。
ところで、彼の病状は、今、抗がん剤(ジェーエスワン)投与の休み調整期間に
入っていて、検査結果も良好で浸食が進んでいない状態らしい。しかしながら、
顔面、右半分の機能麻痺と、朝晩の痛みは厳しく、辛い様子。
一時間ほどしゃべりあった後、屋上へ案内してくれた。病院の前に広がる印旛沼
対岸中央の台地の先に見えるはずの筑波山は曇って見ることができなかった。
がんの進行が止まったままであってほしいと一縷の期待をもって退散した。
![]() |
| 台地中央の先・筑波山 |
2012年5月20日日曜日
大槌・2日目
| 大槌市街&湾(5・10) |
昨日、新花巻に泊り11時に釜石に電車で着いたS増田を迎える。
僕は今回も釜石駅の対岸のホテルに常宿しているいるので、大槌町へは海岸線を
九十九折りに走り30分かけて往復することになった。増田さんを連れて佐々木さん
宅を訪ねるのであるが、その途中に大鎚町の高台にある城山頂上から巨大津波
襲来から14ヶ月になる市街地全域の被災した当時のままの荒涼とした風景を見て
佇む。彼女は無言のままカメラのシャッターを押し続けていた。先に訪れたときより
道路が通り、信号が点滅し、瓦礫が選別され、自衛隊のトラックの行き来が見られ
なくなり、コンビニが一つから数店増えたかな、、、未だ何も変わっていない。
小鎚川を少しさかのぼった場所に、数校の小学校と中学校が合同借り校舎に集め
られ、運動会ではしゃぐ子ども達の歓声を聞き、ちょぴり癒されたが、、、。
佐々木さんの家では、増田さん持参のあわ、きび、ひえ、もろこし、えごま、、、を米
とともに炊いた雑穀試食会となった。食べず嫌いの僕にして、まるで赤飯のようで、
ほくほく感が食をすすめる。
2012年5月11日金曜日
大槌へ/森の図書館を訪ねる
| 森の図書館/佐々木格さんと |
遠野、仙人峠を経て釜石から大槌町へ入った。640キロ9時間(休憩1時間半)
のドライブだったが、一度も渋滞に遭わず快適に走った。
だが、福島から宮城の高速道路は今やっと震災復旧舗装工事真っ盛りの状態
で、波打った所も多々あった。
ほぼ予定通りにベルガーディア鯨山に到着するやいなや、庭仕事中の佐々木
さんが出迎えてくれ、早速、森のなかにたたずむ<森の図書館>へ案内してい
ただく。手作りした<森の図書館>の標識が石に家によく似合う。
こどもの本は、未だ限られた冊数の集まりながら、室内でも、外の森のなかでも
自由に読書できる雰囲気が醸し出され、初期の夢は叶えられている。
第1日目。
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