2020年11月7日土曜日

江森葉子さんから著書恵送あり    3015

書影
よちよち歩きの息子さんを連れて、わが家を訪ねてくれたことがある葉子さん
から本を上梓したのでと、一筆添え書きされ届いた。

本の内容は、傍題に「江戸時代の思想家、安藤昌益をめぐる物語」をもつよう
に、東北南部八戸藩の町医者でこの地の風土のなかから飛翔して自然と人間の
調和を希求し続けた宮沢賢治に重なるようなひととして物語られている。
(著者の出自も八戸)
一番の肝に感じるのは、この物語の発想と、書いてみようと奮い立たせたのが
3・11東日本大震災がきっかけとなっていることです。

2013年2月17日に「岩手県大槌町のおんなたちの話を聞く会」の集会を新宿で
やったが、そのとき彼女は駆けつけてくれた。
今思い返せば、その頃が本書の初期構想とかさなる。
地球環境問題ともかかわるテーマで、すばらしい感性の持ち主と見た。 

2020年11月6日金曜日

出版流通研究会へ          3014

2020・11・6影:ncan
きょうは、久々に都心の書店をぶら歩きし、最後は吉祥寺BOOK1へ。
昼過だったが大変な人出だった。雑誌とブックレットを一冊購入。

「安保60周年記念」講演会& 6・15ドキュメントの編集終了(割付)、製作・
流通会議に出席する。

仕様は、A5判 128頁 巻頭6頁モノクロ写真(セレクト良)。
本編の講演者・保阪正康26頁/高橋源一郎26頁。
後半の、50頁余にあたる資料編の安保闘争1959~60年の年表ドキュメント
及び「第一次1960年安保闘争」関連資料、参考文献は抜群の精査。

二次会は井之頭公園入口の焼き鳥割烹で、この半年以上会ってないたまりたま
った身辺雑様を語らい、薩摩焼酎をグイグイ。元気をもらった。

2020年11月5日木曜日

尋常高等小学校から国民学校へ 良太⑯ 3013

教師の家(影:pen)
良太が単身(母と祖母、一人の長男を生家に残して)サイパンに渡(赴任)っ
たのは敗戦の三年前だった。
1941年度より、尋常高等小学校から国民学校(本土に準ずる)に改称され
ているが、丁度これに合わせるように行っていることになる。

落ち着いた先は、高温多湿の気候に適した風通しの良い高床式の「教師の家」
だったようです。そして教師の家は、トタン屋根の木造校舎に隣り合わせて数
棟あったように見える。
僕はサイパンニッコウホテルに宿泊したとき、ホテルのガーデニング師と親し
くなった。彼の使用人で原住民・チャモロの人(70歳余)に当時の小学校の様
子を聞き取りできた。
若い訓導(先生)ばかりで、学年はあいまいだがよく歌をうたったとおぼろげ
に思い出してくれる。「赤とんぼ」「モモタロウ」「兵隊さん」、、。
また、日本の儀式や行事は厳粛に頻繁に行われていたようだ。

(←ブログ:2020・1・25「教師の待遇はどうだったのか 良太⑪」2727)
(←   :2020・2・27「南洋教育とは 良太のサイパン⑫」2760)
(    :2020・4・12「昭和16年の教育状況 良太のサイパン⑬」2805)
(    :2020・8・17「昭和16年のサイパン国民学校 良太⑭」2933)
(    :2020・9・14「南洋の学び舎について 良太サイパン⑮」2961)
 

2020年11月4日水曜日

峠を走る 奥多摩湖から柳沢峠     3012

柳沢峠(影:pen)
柳沢峠越えで大菩薩峠入り口を横目に塩山から甲府盆地に出るコースは何十回
となくドライブしている。
のぼりきったところで、その時々の表情をした富士山が望める。
必ず駐車して休む。

奥多摩湖を周回して柳沢峠までの風景の見ごろは、春爛漫と咲くソメイヨシノ
と山桜の春の景色から、雑木林のなかに垂れる藤の花が彩る時期、そして峠を
囲む山脈をそめる紅葉絵巻が迫り自然にまっすぐ飛び込んでいける今だと思う。

峠については、わが田舎の美作から伯耆の国に越える「人形峠」と岩手県遠野
から釜石・大槌町へ3・11以降に何度か超えた「仙人峠」越えの風景に対する
心情をLogしている。ひと山越えるために頂点を人工的に開いたのが峠である
が、そこには何らかの歴史があって面白い。そのうえ峠はクルマで走っていて
懐かしい日本の原風景にであえて楽しい。
多分このことは、ボケても変わることなく在るのだと思う。

2020年11月3日火曜日

現政権の必然的結果として「学者」排除3011

菅首相が日本学術会議の推薦した委員の任命を拒否したことで、学術界はもと
より僕(たち)も迫る危機を直感する。

そしていま全国の様々な団体から、内閣総理大臣による日本学術会議新規会員
の任命拒否に関する「反対声明」や抗議の声が上がっている。
勿論、反対するスタンスはまちまちであるのは当然で、学術会議内部のひとや
学会関係者と僕たちのような外部の者とは温度差とて著しいと思う。


「任命拒否に関する早稲田大学関係者有志の声明」に対してメッセージを寄せ
た一部を抜粋してみる。
*学問の領域を超えた社会的分断に危機にかかわると考えており、大変に重要
 な点をご指摘されていて、感心および安心いたしました。
*「学の独立」は既に危機的状況にあると受け止めております。本件について
 総理大臣から納得のゆく説明と適切な対応がなされるまで頑張ってください。
 (僕は説明できないと思う。「自分たちの意にそわないから」という以上の
 理由を説明できないでしょう、、。)
*今般の政権による学術会議への人事介入は、問題があると確信しています。
 学術会議の改革は学術会議自身によってなされるのが適切でありそれが必要
 とされています。
*岡田先生、頑張れ。自由を侵害する政権を許しません。
*私が会長をしている環境社会学会も声明をだしております。
*全体主義の序章ですね。抗う義務があると思います。
*こんな暴挙をここで許したら、次の暴挙が襲ってきます。ここで食い止め、
 反撃に出ましょう。
*違和感を持つだけでなくそれを意思表示したり行動に起こしていかない限り
 消極的な現状追認者になってしまう。
*新種の日本型ファシズムが暴力をふるっていますね。批判と反抗こそ今必要。
*何ら考え方を明らかにしない田中総長にも教員とコミュニケーションをとる
 よう求めていくべきだと思います。
*とりもなおさず、大学人と研究従事者は、説明責任が果たされることよりも
 任命拒否の撤回と任命拒否の適法性の問題に焦点を当て、さらに強い主張を
 すべきだと感じています。
(→後日に続く。もう一方にある日本学術会議の存在自体の規模や権限に縛り
を入れたい動きを後押しするジャーナリズムやマスコミが多数存在し、現政権
擁護の世論形成にシャカリキになっている風潮に、どう抗していくのか追求し
たい。)

(←ブログ:2020・10・2「<日本学術会議>異論となえる学者排除」2979)

2020年11月2日月曜日

ウエポン 猛虎での最後勇姿に悲哀   3010


昨日のウエスタンでのソフト戦が来季の戦力構想外となっている上本博紀選手
の闘志あふれる姿の見納めか。

ファーム最終戦に守備から途中出場。2打数2安打で盗塁し、3回からの2塁
守備でも上林のゴロをさばくなど、3度の守備機会を難なくこなした。
筑後まで馳せ参じた猛虎ファンのウエポンフラッグでわいた。
そのうえ、第2打席ではタイガースから移籍した松田遼投手からの安打だった。

広陵での16打席連続ヒットの記録、早稲田ではキャプテンとして活躍、常に
闘志を内に秘め平常心を保ち多くを語らなかった。ヒーローインタビューでも
「いつもと一緒です、変わらないです」と。阪神タイガース一筋12年プレー
し続けた。
昨年の鳥谷敬に続いて、上本博紀まで猛虎のユニホーム姿を見られないとは 、
何としたことか。
戦力外を決めるのは編成(監督は?)だと思う。今シーズン若手が成長してき
ているとはいえ、糸原、植田、木浪、小幡選手の誰をして彼の守備・打撃力を
超えたと言えるのか、、。
プロの世界は厳しい、でも未だ期待していい選手だと思っている。残念至極。

(←ブログ:2020・2・2「球春さて今シーズンの阪神タイガースは」2735)
(←ブログ:2020・3・15「鳥谷よ 新ユニホームでトリ旋風を」2777)
(←ブログ:2020・6・27「開幕8戦目で劇的2勝」2882)
(←   :2020・7・16「阪神タイガース!野球観戦のだいご味」2901)
(←   :2020・8・7 「高橋遥人 あの左腕井川慶の再来なるか」2923)
(←   :2020・9・2 「姓は藤川 名は球児 タイガースユニ脱ぐ」2949)
(←   :2020・10・6 「猛虎の若い投打に留飲をさげる」2983)
(←   :2020・10・20「藤浪晋太郎 うなりをあげる白球162㌔」2997)

2020年11月1日日曜日

補遺⑯               3009

これまでの補遺で、未来社在職20年間のほんの一部を回想してみた。
営業での取次人、書店人など出版業界人とのつきあいであったり、社内の流通
上の大きな制度改革にかかわった経緯や、著者のこと、「日本の民話」の割賦
販売の成功譚、社内人事など思いつくままに記した。
未来社は創立15年から、25年、30年、40年の区切りごとに、しっかり
した「記録」を残している。

この社史としての記録をいま読み返して、僕のなかで棘のように拘りとして残
っていることがある。
当時、朝鮮総連副議長だった金炳植の著作『現代朝鮮の基本問題』(1969・4
刊)に始まって、「金日成著作集・第1巻」刊行開始(1970・10)から「金正
日文献集」(1987・2)~まで、朝鮮民主主義人民共和国関係の書籍が数十冊
「書籍目録」に残されている。

この日本の出版社からの刊行活動を積極的にはかったのは金炳植で、後に帰国
し追放されたとの情報だ。
横田めぐみさんが北朝鮮に拉致された1970年代は、今から思えば首都平壌で、
スポーツの世界大会(ピンポン外交と揶揄)などを開く一方で、残忍な行為を
実行していたことになる。僕(ら)はそれに気づいていなかった。
それにしても、朝鮮民主主義人民共和国に招かれて訪問したひとたちの「金日
成主席」と云う5文字の前後は尊敬、敬愛、崇拝といったコトバが並び、最後
は万歳!万々歳!で締め括られていることよ。

この同時進行のとき、未来社に居ながらにして北朝鮮の国家体制に「反」であ
り、曖昧な態度を通した。