2017年11月21日火曜日

藤村の『破戒』を読む        1931

藤村(中央)と小諸義塾の学生&塾長(右端)
島崎藤村の『破壊』を原作とする映画「破戒」を観て、長編小説を読み直したと
言った方がいいかも知れない。
本棚の奥から「藤村全集第二巻」を引き抜いて、その中に収録された本篇を久し
ぶりに読んだ。

さて、映画は市川崑監督が和田夏十の脚色のもと映像化。音楽・芥川也寸志。
部落出身であることを隠し生きる小学校の青年教師の苦悩を市川雷蔵が熱演。
共演者は、同僚に長門裕之、敬愛する部落民開放運動家に三國連太郎、心通わせ
る同僚教師の娘・志保に藤村志保。
本作で初々しくデビューした藤村志保は、原作者と娘の役名を芸名にしたことで、
印象に残っている。

『破壊』は、明治39年(1906)に初版が発行され。藤村が初めて書き下ろした
長編小説で話題になったが、作者自身、思うところあって絶版とする時期があっ
たと自戒している。
そして市川崑は、「差別をするなと訴えるだけじゃなくて、自分たちがもっと自
信を持てばいいじゃないか、ただ悲しむだけじゃなくて、もっと強くなれ、そし
たらいつか同じ立場になる」といテーマが加わって、原作とはちょっと違う開放
感がある。

主人公の丑松が自分の身の上を教室内の子供たちに告白するクライマックスの臨
場感は圧巻です。泣けてくる。

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2017年11月20日月曜日

江の島岩屋巡り/記憶の深層⑬    1930

江の島に初めて行ったのは、高校の修学旅行。
これは、二度目の初夏に行ったときの記憶になる。

江の島駅から商店街を抜け片瀬海岸に出て弁天橋を渡ると、樹木におおわれた
なかの青銅の鳥居から参道へと続く。
境内には、「錢洗いの池」があり、その水で洗った5円玉がいまもわが家に有
る。「種銭」となって増えるというが、残念ながらそんなことはなかった。

江の島信仰なるものがあって、遠方から来島する人も少なくないと云うことで
民宿が並ぶ。今では日帰り悠々の場所ながら、、民宿に一泊したのでした。
島は狭いが、地形は起伏に富み、島の南西端の絶壁の下に造られた岩屋に着く
ころは、息絶え絶えでした。
岩屋のなかは150mぐらいつづき、岩からしみ出した清水が体にかかり、鳥
肌がたつ。壁際には弘法大師や日蓮上人信仰の人たちが奉納した石像が並ぶ。
yuは狭所恐怖症気味で、岩屋(洞窟)に入るのをためらった。
外の潮だまりのカニや小魚と戯れていた。

民宿の夕食に出された、獲りたてのシラス釜揚げ丼と生シラスが、この旬この
地場でしか味わえない美味でした。
鎌倉や伊豆方面に出かけるときのドライブでは、江の島海岸は通るが、再再度、
島に渡ったことはない。

(←ブログ:2016・2・22 「記憶の深層/東京で最初の川苔山登山」①1293)
(←   :2016・2・25 「犬吠碕へ/記憶の深層②」1297)
(←   :2016・6・18 「関の五本松/記憶の深層③」1410)
(←   :2016・6・26 「悠久の多胡の碑/記憶の深層④」1418)
(←   :2016・7・2   「由緒ある場所/記憶の深層⑤」1424)
(←   :2016・7・12 「洛北の寂光院~三千院/記憶の深層⑥」1434)
(←   :2016・7・13 「猊鼻渓舟下り/記憶の深層⑦」1435)
(←   :2017・2・18 「小諸なる古城のほとり/記憶の深層⑧」1654)
(←   :2017・2・25 「その昔東京荘があった/記憶の深層⑨」1661)
(←   :2017・7・26 「高田南町・のぞき坂の頃/記憶の深層⑩」1813)
(    :2017・7・30 「映画「秋津温泉」の奥津峡/記憶の深層⑪)1817)
(    :2017・10・31 「小瀬温泉と山の怪/記憶の深層⑫)

2017年11月19日日曜日

小雪                1929

今朝は、今年一番の冷え込みとか、、。
冬の24節気の「小雪」。しょうせつとは、雪が降り始める頃です。
こゆきではなく、しょうせつと、地下鉄千代田線「新御茶ノ水駅」ホームの壁面
のタイルモザイクに綺麗に表現されていますよ。

冷え込みが強くなると、「雨も雪となりて下るが故なり」のとおりです。
今日も、新潟は山寄から市街地まで雨から初雪に変わりゆく風景の便りがあった。
冬支度とともに、これから大雪から冬至を越えて慌ただしい暮れへと一気に行事
や忘年会などをコナシテいかなければなりません。
そんなときでも、「風花」が舞うと過ぎ去ったさまざまな事や心象風景がよぎる。



2017年11月18日土曜日

模擬「学芸員」になったハル     1928

「展覧会」と関係ない自主制作(影:tab)
きょうは朝から、小学生の「アート展覧会」の会場に出かけた。
一昨年に続く参観だったが、一ヶ月半ぐらいのロングランで、いくつかのテーマ
によって根気よく創造的に仕上げた作品群はどれを見ても見栄えしました。

作品については、個人情報、肖像権保護のため公開できない。
テーマは、夢の商店街、エッシャーに学ぶ、宝島発見、ミシンかけ裁縫、そして
高学年全員の共同アートワークが天井に結んで繋がれていた。
そして、実体験教育の一環だと思うが、生徒自ら「学芸員」になって、それぞれ
のテーマ作品を客観的に俯瞰し、保護者や地域の皆にガイドしていたのが際立っ
てみえた。

ハルは、「宝島発見!」の平面作品群の前に寄ってくる父兄を積極的に捉まえて
制作過程で苦心したところや見どころを張りのある声で紹介していた。
心配しながらの、蔭でこっそりお手並み拝見だったが、成長を感じさせるもので
安堵した次第。

2017年11月17日金曜日

坂戸とつながる東山道武蔵野路跡⑥  1927

東山道武蔵路跡
東山道は都と地方の国府を結ぶ古代(7世紀後半頃)の官道(幹線道路)で、
全国7道の一つ。

武蔵路は東山道の本筋から上野国新田で分かれ、武蔵国府(府中)に至る東山道
の支路で、通常武蔵路と呼称されています。ルート間では所沢市など20か所程
で道路遺構がされている。今回歩いた指定地区では、総延長490mにわたって
遺構が確認されており、アスファルトで整備されていた。側溝もあり道幅は12
mと、そうとう広い。発掘された側溝の位置と形状を道路上に色を変えて、忠実
に表面表示しているので、古道を踏みしめる実感がある。

11世紀前半には道の機能を失ったものと考えられる。
いまでは、イベント会場や臨時駐車場にもなるらしい。

後日、西国分寺駅南口前のBOOKS隆文堂によって、スズキさんと国分寺跡の話に
なると、国分寺極周辺本から沿線地域本の棚&平台の前に立ち、「武蔵国分寺」
のタイトルのつく数冊を教えてくれた。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)
(←ブログ:2017・11・10 「馬場大門のケヤキ並木と祖父母③」1919)
(←ブログ:2017・11・12 「武蔵国分寺跡から湧水群を歩く④」1921)
(←   :2017・11・15 「国分寺崖線下に湧水群とお鷹の道⑤」1925)

2017年11月16日木曜日

「万波を翔る」と『世界を見た幕臣たち』1926

書影(2017・9・19刊)
日本経済新聞の連載小説「万波を翔る」(木内昇作)を読んでいる。

幕末遣外使節団の一員として随行した田辺太一の、現掲載は前段の物語である。
すでに221回に及ぶ筋書きのことではなくて、最近発売された新書を手にした
我が読書との偶然のつながりについてです。
その歴史新書は『世界を見た幕臣たち』(榎本秋著)。

傍題に「幕末遣外使節団の軌跡」とあるように、明治維新への原動力は坂本龍馬
や西郷南洲、大久保利通、桂小五郎、高杉晋作等、維新の志士たちだけではない
よ、と。ペリー来航以降の欧米列強の圧力と、それに対する排外意識、そして外
交問題が錯綜する歴史的ターニングポイントのもう一つの事実を語る。
近代日本外交の始まりとして、明治4年(1871)の岩倉遣欧米使節団は知っ
ているが、先立つこと十数年前から江戸幕府によって七度使節団が派遣されてい
たことには疎い。

その一つ、攘夷派を抑えるための「ダメでもともと」の遣仏使節団が、文久3年
(1863)に横浜を出発した。この一行(36人)の中に、小説「万波を翔る」
の主人公・田辺太一が加わているのを知る。
予備知識のなかった田辺についての、活躍歴や著作まであることが分り、小説の
展開上大いにイメージを膨らませることができ幸運な水先案内になりました。

来たる2018年は明治維新百五十周年。この激動の時期は、虚構と歴史学的間
で、新発見が未だまだあると思われる。

2017年11月15日水曜日

国分寺崖線下に湧水群とお鷹の道④  1925

真姿の池(2017・11・3:影tab)
国分寺崖線(ハケ)下には、湧水点がいくつか見られ、その一つが「真姿の池と
湧水群」です。かつては飲用水としても利用されていた。
この池の周辺は、ケヤキ、スギ、サクラなどの雑木林にかこまれ、市街地の中に
在りながら自然の美しい景観が残っています。名水百選にも入っている。
「真姿の池」からの小川に沿った小径が東西伸びていて、「小鷹の道」という。
この辺りの村は、尾張徳川家の「お鷹場」と呼ばれるようになった。

この真姿の池のことで、友人の井出彰の著作『里川を歩く』(風濤社)を思い出
した。この本の一項に「野川を歩く~ハケのあちこちから湧水」があって、ボク
の歩いたのとは逆に、国分寺から野川を経て源水をたどる、落葉時期の崖線巡り
の名文がある。

(←ブログ:2017・11・3 「武蔵国府と国分寺を歩く ①」1913)
(←ブログ:2017・11・5 「大國魂神社とくらやみ祭 ②」1915)
(←ブログ:2017・11・10 「馬場大門のケヤキ並木と祖父母③」1919)
(←ブログ:2017・11・12 「武蔵国分寺跡から湧水群を歩く④」1921)