2015年8月14日金曜日

虎が躍動してきた!         1100

藤浪晋太郎勝利インタヴュ(2015・8・14 影:Gyo)
Gyoが今シーズンめずらしく阪神タイガースの応援に神宮に駆けつけていること
がわかった。

鳥谷が連続試合とフルイニングを継続中!
鳥ライト前クリーンヒットのフォトメールをくれた。
藤波晋太郎、3年連続2ケタ勝利、江夏以来46年ぶり。
7対3でタイガース勝ち!

8月6日の広島球場でカープに勝って以来、一昨夜はまさかの坂、昨夜は秋山、
Gyoが神宮球場で応援したこの夜は江越が。若い駒が日替わりで躍動してきた。
4コーナーをまわって直線にさしかかってきている。
油断大敵! 一気に走りぬけろ!

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2015年8月13日木曜日

盆開き                 1099

菩提寺境内の槙
今夕、「盆開き」をしました。

田舎では、お盆と正月というようにお盆は一年の中で大きな行事です。
旧暦の時代は、7月15日を中心とするものでしたが、田舎では月遅れの8月に
行なう風習でした。東京でもこのしきたりに従って、きょう簡素化した「精霊棚」で
迎えました。
昔のように山から採ってきたオミナエシやキキョウはないがユリが活けられた棚
でお線香を焚きました。
夏休みで倉敷に行き帰京したハルも羽村に帰ってきて、さっそく真面目顔で手
を合わせていた。

遅ればせながら明日、野菜で作ったナスとキュウリとトウモロコシの馬や牛を飾
ってやろうと思う。
幼少の頃、菩提寺の「千年槙」を囲んでにぎやかに盆踊りに興じた日を想い出
した。

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               「も少しお墓参りについて」 732)

倉敷市は広い!           1098

鷲羽山から下津井港を望む(影:Pen)
倉敷市といっても、エリアは広大です。
「倉敷」エリア、水島、玉島、児島、船穂、真備六エリアがあり、僕が十代に
過ごした頃は、「倉敷」以外、それぞれ独立の市であり群の一部でした。

1967年に旧倉敷市・玉島市・児島市が新設合併して、新たな衛星都市「倉
敷市」となった。
こうして地域別に見てみると付き合いに濃淡があり、生活したのがわずかに
もかかわらず、印象に残っていることは多い。

旧倉敷は言わずもがな、玉島は中学校の隣町で友人と映画館通いをしてい
たし、海水浴場や、好きな「ままかり」や「アミ塩辛」の海鮮問屋があった。

また、わが家のあった船穂町(柳井原)の果樹園の丘を越えると遣唐使吉備
真備ゆかりの地で、金田一耕助を初登場させた横溝正史が執筆したところ
の真備町でした。柳井原にも「横溝」姓が数軒あったナ。

弟たちが住んでいる水島は24時間輝きつづける一大コンビナート。戦中は、
軍需産業の拠点で米軍の空襲にみまわれ焼け野原と化す。

そして、児島は1960年代半ばに国産ジーンズの製造がスタートして現在で
は、デニムの聖地になっている。僕も「桃太郎ジーン」を買った。
むかし下津井海鮮問屋で栄え、いまは漁業と島めぐり遊覧船港町でもある。

2015年8月11日火曜日

美観地区の濠渠と白壁       1097

山陽本線倉敷駅(2015・8 影:Can)
倉敷の街散策のつづき。
僕が船穂町(現、倉敷市に編入)に居たころは、「倉敷大原美術館」周辺をまだ、
「美観地区」と呼んでいなかった。

いまでは、重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
木造洋館の倉敷館(旧倉敷町役場)、倉敷民藝館、日本郷土玩具館、倉紡記念
館、倉敷アイビースクエア、オルゴールミュゼ・メタセコイア、倉敷考古館、有燐荘
(非公開)、大原家住宅(非公開)、、、。中国銀行倉敷支店倉敷本町出張所の、
ステンドグラスの窓が美しくて見惚れる!

濠渠といっていい倉敷川の畔から、「鶴形山」南側の街道沿いに、なまこ仕様の
白壁の屋敷や蔵や塀、古民家が密集し、天領だった時代からの街並みをしっか
り残している。
このあたりは、江戸~明治の頃は倉敷川の荷揚げ場の中心で、当時からの石段
が残っている。対岸には、かつて行き交う船を照らした常夜灯がそのまま鎮座し
ている。
倉敷の町家、古民家の典型は、白漆喰壁に腰板張、主要部に瓦となまこ目地、
倉敷窓に倉敷格子戸で、どこのお家も統一されているから見事です。

10代、20代の頃は、倉敷の町のよさを美術館だけで素通りしていたが、いまは
違う。時間さえあれば何度周遊してもあきることのない広がりと深みがある。
倉敷中心街は空襲に遭遇することなく、いまがある幸せをかみしめたい。





2015年8月10日月曜日

久々の倉敷散策           1096

現在は「ぶっかけうどんの<ふるいち>」(2015・8・2影:Can)
かつて、中学生半ばから高校時代よく遊んだ倉敷の街なかのことなど。

さきに、よく通った旧映画館についてふれたが、ここでは倉敷駅を背にして交差
点から倉敷戎(えびす)通りから本町通りを歩いてみる。
ロータリーの脇に、まだ「古市」の懐かしい看板があった。高校下校途中、いま
の時季なら山が崩れるほどの小倉アイスかミルク金時を、寒いときになると小倉
あんいっぱいの太鼓焼きをよく食べたものだ。
(現在は、<ぶっかけうどん>発祥の「ふるいち」になっている。)
このときの名残か、東京に出てからも高田馬場駅近くの焼きそば屋の大盛小倉
アイスを好んでたべもした。

美観地区に入ると堀割に沿って柳並木が現れてすぐに、「大原美術館」本館の
玄関部分が目立つ。
伝統の古式家並みのなかでは、ギリシャ神殿のような本館玄関は一見唐突に
見えるが、倉敷文化そのものである。
「倉敷紡績」の大原孫三郎の下で、画家の児島虎次郎が西洋や中近東、中国
の美術収集したはよく知られている。
美術館入口となりの喫茶店「カフェエル・グレコ」は退館して一服する処。
絵画はもとより、建築から彫刻などいつ来ても見飽きることはない。


2015年8月9日日曜日

倉敷の白桃              1095


僕は中学一年の夏に岡山の山間部から、船穂町(現倉敷市に合併)に転校した。
その後、東京に出るまでの6年間、倉敷で過した。

住んでいた野山の一面が果樹園で埋まっていた。両親が教員だった関係で四季
折々の果物や野菜を隣近所からご相伴にあずかりました。
山奥から、一気に「都会」に出てきて食生活文化が一変したように思いました。
今頃であれば、畑に転がったスイカを手刀で割っていただいたり、桃やぶどう房を
もいで手渡されたのを、その場でごうかいに口に頬張った日のことを想いだす。

なかでも、岡山の「白桃」は「水蜜桃」ともいわれ天下一品です。桃が店頭を賑わ
す時季になると倉敷の田舎をかならず思いだす。
岡山は赤リンゴ以外なら何でもありの「フルーツ天国」といわれ様々な果物が食べ
られる。
アレキサンドリア・マスカットも知られているが、超美味しいのは瀬戸内独特の気
候によって熟成した「白桃」である。
旬のなかの旬の時期の選りすぐりの白桃を姪っ子が届けてくれ、皮を手でつるん
と剥いて食べた。

菩提寺へ                1094

上野寺下の清流吉井川と県道(2015・8・7影:Can)
美作津山の奥に在る一番の菩提寺に、一週間早い「お盆」参りをしてきました。
倉敷からは、「瀬戸内道」にのり「中国自動車道」を経て県道に下り、さらに山間
を走って一時間半ばかり墓参に要します。

僕にとっては、「盆と正月」という季節の儀礼が残っているぐらい、子どものころ
から欠かせないやすらぎの事だった。
父と母との生活が希薄で、祖母と過した日常の残滓がよきにつけあしきにつけ
こびりついている。

先祖とか、子孫の霊魂を信じるわけではないが、「お盆」を通じていまは亡き人
たちを想える死者儀礼になっています。