2020年8月31日月曜日

わが嗜好品 アイスクリーム      2947

僕は酒も好きだが、アイスクリームには目がない。
十代は学校の帰りに甘味屋によって、特盛の「小倉アイス」をたべるのが楽し
みだった。学生のたまり場だったその店は「フルイチ」といったと思うが、現
在も倉敷駅前に在る。

いまも、ハーゲンダッツなど高価なモノから、モリナガ&グリコのアイスカッ
プまで、一週間単位で自宅の冷凍庫に目いっぱい常備する。近所のコンビニや
スーパーではなく、クルマで行きつけの郊外店で買う。まちがいなく2、3割
は安めの価格設定が魅力。
この歳で夏場だけでなく、冬の時期でも毎日食べるので皆が慣れて土産に持参
して補充してくれている。

一年ほど前に発見したのだが、オハヨー乳業の「ジャージー牛アイスバー」が
欠かせないお気に入りになる。
岡山では、カバヤキャラメルとオハヨー牛乳につと親しみをもつ。

2020年8月30日日曜日

樫山欽四郎教授の見識        2946

第一次安保闘争直後の学生運動は低調であった。

だが早大では1962年秋に、「早大軍事研究阻止闘争」(早大生産研究所が
防衛庁の委託で軍事研究を三年計画で実施)で全学スト(本部前座り込み三千
名/大浜総長名で<委託契約打ち切り>の回答提示)をうったり、「大管法粉
砕」国会上程阻止の統一行動や、マル学同独自の動労安全運転支援闘争などが
直接行動としてあった。
この状況下で、大学当局は授業妨害を理由に教育学部委員長の除籍処分をはじ
め停学処分がつづいたのである。

実は1962、3年の文学部学部長だった樫山欽四郎教授のことを、樫山文枝
さんが「日経新聞」で思い出として語っていることに触れて、学部ストを巡っ
て教授と交渉したシーンがよみがえった。前ぶりが長くなってしまった。
教授室に乗り込むなど、今時考えると無謀な勢いがあったものだ。
先生は、ヘーゲル哲学の研究をしたのちにちょうど実存哲学の探求に傾倒して
いた時期だったと思う。
彼女曰く「学生運動が激しかったころは苦労も多く、荒れる学生を哲学で論破
したこともあったという」。たしかに、小柄な体つきだったが「団交」でも怯
むことなく対応する姿を想い出すが、「断じていかん」(本当にダメなときの
口癖)とは言われなかった。
だが処分をくらった、、、。

いまはどうか知らないが、「オンワード樫山」の創業者は樫山教授のお兄さん。
樫山文枝さんは今秋、舞台「ワーニャ、ソーニャ、マーシャ、と、スパイク」
というチェーホフ劇に出演する。

2020年8月29日土曜日

母のこと              2945

母が敗戦直後に肺結核を発症し、2回の長期療養ののちに右肺切除の大手術を
経験し、実生活に復帰、入院を繰り返して逝った。

長期入院の末、全身麻酔手術と胸部整形術に肺葉切除術をして、その後はもう
一方の片肺へ転移を恐れたり、後遺症に悩まされながら息を切っていた。
誰にも見せることはなかったが、右背と脇腹には盛り上がったピンク色の傷跡
がはしり、胸は乳房を切除され扁平になっていた。肋骨も数本切除したので、
数年は右肩が下がり歩きにくそうだったがいつの間にか目立たなくなっていた。

祖父が亡くなったとき、東京から駆けつけた。そのとき体が弱り、少し縮んだ
ようにみえた母親を、僕は愛しいと感じた。
小学校入学の前から一緒に暮らしたことのない僕は、運動会や学芸会に叔母が
強引に連れだして参観してくれる日が吉日だった。イベントが終わるころには
療養先に帰りを急ぐので時間が気になって仕方なかった。
悪知恵をはたらかせて帰ってしまうのを妨害もした。それが非現実的であった
ことが今更ながら滑稽に思いだされる。

2020年8月28日金曜日

8月一番の出来事 自動車免許更新  2944

2020・8・22  影:ncan
新型ウイルスの感染拡大で自動車(中古)の需要が増えてきたという。前年同
月よりうわまわった。(「日経」)
移動の蜜を避けようと電車からクルマの通勤や近隣への旅行に変える流れに乗
った傾向だと思う。新車に比べ安く納車も早いことによるのかな、、。

「そろそろ運転はやめたほうがいいんじゃないの!」
「高齢者になったら運転しないほうがいいに決まっているでしょう!」
「運転してほしくない⁉」と、家族が思うかもしれない。
こうした事情の配慮無しに、気の置けない軽々さで教習所を経て免許更新する
わけにいかなかったが、新道交法のもと取得してみてスッキリした。
はてさて、これから何番勝負できるのだろうか。

2020年8月27日木曜日

ひとも為なるブログというものを   2943

暑さとコロナで公園周遊のジョッキングは中断中。
寝起き、朝、夜の自己流に改良したストレッチは毎日欠かさない。年は重ねど
未だひととのコミュニケーションをとりたいし、柔軟に対応できる体力を維持
しておきたいと勝手に思っている。

1月からこの半年以上は、ほとんど閉じこもり状態につきテレワークでなるに
任せている。そうこうしているうちに日日と曜日の感覚がなくなっていること
がある。
だがこの「Blog」をやっていることによって、毎日の生活の思考回路を探って
みたり、記憶の強靭さをたどってみたりすることができるのは思いのほか幸運
といえる。

2020年8月26日水曜日

いろいろな数字に日々出くわすが   2942

TVニュースの時間帯に必ず流れるのが新型コロナの感染者数である。
僕もつい棒グラフに目を移す。指数化して第二波の予測などできないが、これ
はなかなか収束しそうにないことを推測してみるぐらいはできる。
表現として悪いが世界規模のゲーム感覚でもある。

多数の数字が並ぶので自分の行動指針にはならないが、「毎日が日曜日」を容
認して憚らない状態にあると都心に出ず、盆帰郷もとりやめ、遠距離ドライブ
も自粛を覚悟する。そしてこうした自縛生活がよかったことになるのか、滑稽
になるのか、そう遠くない先はっきりするだろう。自ら決めてのことながら、
歯切れが悪い。

2020年8月25日火曜日

熊谷在に流着 友人帳③       2941

大学で入学の数か月のあいだに強い影響を受け忘れられないた友人(年上だ)
が3人いる。そのひとり伊藤hさんのことについて。

ずいぶん前のことになるが、洋泉社発行の『春画』内容見本を送ったところ、
次のような返事をもらった。本書の礼状とは関係ないのだが、葉書の末尾に、 
「愚生  熊谷在、老骨をさらして生きおり候。yuさんによろしく」とあった。
当時の彼は容姿や趣向などが洗練された江戸っ子で、文字にしてから細字の万
年筆でさらっとしたためてよこす。だが、受け取ったのは、交流がある事情で
途絶えて十数年ぶりのもので懐かしかった。
そしてこの間の空白については、のち数年の賀状のやり取りと、美術展を観て
の帰り神保町でお茶したのが最後になる。

この10年は、「がん」にやられて人に会うこともせず、ぶらっと三陸から青森
・弘前・秋田とただ列車で旅したり、阿弥陀信仰があるわけでもないのに阿弥
陀様を信心する人々に興味があり、平泉の毛越寺や福島平の白水阿弥陀堂に出
かけている。そして、「どうせ浄土に行けないならば、生きてるうちに阿弥陀
の浄土を見ておきたいという気があるのかもしれません。」とアンリ・ルソー
の絵葉書で届いた。

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(    :2020・7・17「信州八千代高原のモリ別荘 友人帳②」2902)