2015年2月28日土曜日

「封印」したルーツをたどるということ!  931


『敗者の日本史』から(洋泉社刊/2015・2)
友人で現役俳優の浜田と長宗我部友親さんを訪ねたのは一ヶ月余まえで、その
後、彼とはメールと電話でやり取りする関係にある。

昨日の新聞で、戦国武将元親の末弟、親房から数えて17代目当主・友親さんを
アピールしたインタヴュ特集記事を組んでいたのが目に触れ、再再度語ってみた
くなった。

共同通信の記者で、経済部長や論説委員を務めた当時の活躍ぶりについては、
先日会った際の話のなかで出ていたので知っていたが、学生劇団「自由舞台」の
役者振りとかは初めて知った。
60年代、学生時代に家の「系図」を辿ったり、名家を名乗るなんてコトは批判の
対象になる風潮が圧倒的でした。
その後の時代をやり過ごした後に、運命の声によって『長宗我部』(文春文庫)を
上梓している。渡来から始まり、戦国武将の盛衰をへて、一族の思いをつなぐ叙
事詩になっている。

そして締めくくりに、演劇青年だった時代も忘れがたいとか。これが、「自由舞台」
を中心とする「学生演劇史」をまとめるパトスになりつつあるが、、、。

(←ブログ:2015・1・22 「長宗我部友親さんを訪ねる」 894)
(←ブログ:2015・1・27 「『長宗我部』を読む!」 899

「じねんじょ」                 930


三浦哲郎の「定本 短編集・モザイク」に感銘する!
日本の短編小説も捨てたもんじゃないなと思わされる、上記収録中の「じねん
じょ」を読む。

読書するきっかけは、あるエッセイのなかで短編小説「じねんじょ」の紹介を目
にしたからです。
僕は自然薯汁が大好きで、究極の食事だと思っている。
自然薯にまつわるうんちくを散りばめたものかと想像していたところ、あにはか
らんやプロット上での、心を揺さぶる象徴物として使われていた。

筋だては、死んだはずの父親と、芸妓の娘が初めて会う。待ち合わせ場所に
したフルーツパーラで多く話すことなくひとしきりいて、外に出る。二人は潔く
右と左に別れたが、まだ何歩も歩かぬうちに、、、。土産に、自分で朝堀りした
「じねんじょ」を娘に持たすラストシーンにしびれる。この最後の残像の強度に
圧倒される。これから、何度もページをめくることになるだろう。
映画の「秋津温泉」を繰り返し観ているように。

「きりんの会」へ               929

ボロ市から来たきりん(2015・2・26 影:Tab)
小雨か霙混じりのなか久我山の夜会に参加しました。
2・26で会おうということだったが、毎年この日は雪の日が多いと感じています。

さて、この日の夜会のスペースですが、アトリエの一室です。スナック風にカウン
ターもあり、お酒も豊富に揃っていた。
硝子細工や彫刻などが無造作に在るようで、フローリング仕様の室内にマッチ
して個々に存在感があり雰囲気がイイ。
そのなかでも、一本の樹を彫刻した「きりん」の容姿と表情に群を抜いた生命感
を感じた。ボロ市で衝動買いして連れ帰ったが、いまや、可愛くて可愛くて、居
てもらわなくてならない同居人、とオーナー女史は申していました。

料理は、手作りのマグロのカルパッチョ、なす・ピーマンの味噌炒め、ウインナと
キャベツの炒めものが大皿に盛り付けで出たが、幸いにも僕の好みで大変美味
しかった。

宴酣では、オサダ君の率先で女子組4人がジルバやツイストで盛り上がる。





2015年2月27日金曜日

50、60、70、80歳代の会話       928

2/25(水)
50歳前半のプロデューサー、60歳前半の出版社代表、60歳後半の新宿デラシ
ネ、70歳前半の学者、80歳前半の居酒屋オーナーに70歳半ばの僕が加わっ
た萬お喋りの一席が持たれた。

会の仕掛けは、在来作物の普及に努めるマスダさんが、広島支局から東京に帰
ってきたプロデューサーを引き合わすことに始まった。
彼の関心は、戦後直後の新宿の闇市や屋台の様子を生の声で聞き出すところに
あるようだった。『新宿 でん八物語』をしっかり読み込んでおり、長老のアキサンを
取材していた。
新宿闇市マーケットの誕生の歴史や、新宿国際通りや南口のドヤ街の混沌とした
なかにあった活気、さらに新田裏の屋台仕込から出店陣地取りの様子等を地図
と図面を書きながら語ってくれた。
アキサンの活き活きとした表情を久しぶりに見た。


新宿角筈の旧都電通りで、チンドンヤが練り歩いているのに遭遇した。若い娘の
コンビが吹く笛に鐘、太鼓に浮かれてしばし連れ添って歩いた。

2015年2月24日火曜日

カンバイズのメンバー箱根山へ      927

(2015・2・24 影:Can)
草野球の伝統あるチーム、カンバイズのオールドと現役メンバーにサポータが、
箱根中強羅に集う。

参加者のうち現役プレーヤーは二人だけなので、ひさしぶりの顔合わせといえる。
球団創設から39年になるが、驚くべき継続だと思う。人生の半分以上の年月を
彼等と付き合ってきたことになる。
現在のチームのメンバーは大半が若返っているが、ほぼ最初からのエース・カミ
さんとオオノが引っ張り、チームの伝統を継承している。
おまけに、昨シーズンはシーズン全試合全勝で、年間の仕上げ「カンバイズ・カ
ップ杯」も優勝してしまったのだから、カズさんや僕が監督をしていた初期10年
の出版社と書店相手に牧歌的に「草」を楽しんでいた時とは、様相が一変してい
るのがわかる。

カンバイズの創設メンバーは、16人でしたが、スギヤマS、オオコウチ、イチカワ、
の三人がすでに彼岸にいってしまった。梅薫の頃、今を生きる者がお互い久しぶ
りに顔をあわせ、健在なるコトに感謝しつつ、昔と変わらず杯を重ねるも一興かと
おもいました。
それにしても、飲む飲む飲む! 小田急ロマンスカーに着席するや否やビール
で乾杯から始まって、箱根湯元に着くまでに日本酒、芋焼酎ビンが空いてしまう。
当然宴会で飲み、二次会で飲み、部屋に帰って12時過ぎまで飲み、おしゃべり
が続くのである。翌日になっても、朝食前のビール、帰途の車中でも未だ飲んで
いる人がいるという具合であります。
飲み会耐久旅行になってしまい、新宿での解散時は聊か疲労困憊です。


2015年2月23日月曜日

東京マラソン42・195キロ Gyo完走! 926

35キロ地点・歌舞伎座前(2015・2・22 影:Can)

先週の青梅マラソンに続いて、Gyoが出場する東京マラソンを観戦する。
家を早朝に出て応援場所に行くため、乗り換えの新宿西口に出ると、スタート地
点の都庁前に参集する人人人で新宿駅西口広場はすでにごった返していました。

地下鉄で霞が関で下車、飯野ホールの珈琲店で、引率のSchらと三箇所の応援
地点を確認。内幸町~有楽町マリオン~東銀座歌舞伎座前へ人ごみを分けて
移動する。途中、銀座不二家で昼食。田舎から東京修学旅行で、同じこの店で
カキ氷を食べたことが懐かしい。

彼は、40代になって本格的にマラソンを始めた。それまでの、ハードな仕事で腰
を痛めたり、肥満傾向を改善するために取組んだことだと思っている。
それが、ゴールの達成感が忘れられなくなり、ランニングの快感につかれ、今は
完走からタイムアップを目指すに至っているのだろう。
僕もスポーツすることは大好きなほうだが、歳がら挑戦は難しくなりました。残念!

30万余人が応募して、出場できたのは3万6千人。
色とりどりのユニホームで走るなかで、Gyoを見つけ出すのは大変だった。
Gyo完走!3時間48分。

かつての山の神・今井正が三年ぶりの7分台を記録する。女子では扇まどかが入
賞。

(←ブログ:2015・2・16 「梅の里復興を目指して~青梅マラソン!」 919)



2015年2月21日土曜日

ドッジボール遊び!             925

サウスポー江夏のサインボール
週に一、二度、ハルに会う機会がある。
その際に、友だちとドッジボールで遊ぶのを見たり、実際に参加させられること
もある。
ハルは普通に書くときの利き手は左、習字は右手筆運びなので、さてドッジボ
ールはどんな利き手なのか関心を抱いて見た。そしたところ、球をキャッチした
姿勢の足位置によって、投げ出す左右の手を瞬時に選択する両刀使いに慣れ
てきているようだ。

僕が小学校の頃、特に寒い季節の校庭でのドッジボールは人気スポーツでし
た。昼休みになると箱からボールを持って校庭に飛び出し、早い者勝ちでコー
トを線引きで作り、戦う二組の内と外側の配置をジャンケンで決めて、ボール攻
めを開始する。
投げる、キャッチする、素早い人の得意加減が顕著に表れるが、体格差のハン
ディを気にすることなく楽しめ、全員で熱中したものです。

英国を発祥の地とするドッジボールは、明治時代に「円形デッドボール」の名で
伝わったと言われています。
今や、DB国際大会があるというから、過去のスポーツではなく活況を呈してい
ることを知らされた。