2014年12月30日火曜日

浅草に行ったついでに           871

『時に佇つ』佐多稲子著(1976・4/河出書房新社刊)

東京にでてきて既に55年余になるが、浅草から隅田川にいたる界隈に疎い。

先日、浅草で地下鉄を出て十字路に立ち、向島・吾妻橋方面の標識を見たとき、
急に佐多稲子さんのことを思い出した。
僕は佐多稲子さんから、70年代から80年代に新刊を出すたびに署名入りの本
をいただきました。
直接会って話したことも、手紙でのやりとりもないが、唯一、考えられるのは当時
「婦人民主クラブ」なる新聞があって、それにサン六つ広告の出稿をしていたこと
が遠因なのだろう。佐多さんは埴谷雄高さんとも自著のやり取りはあったが、、。

長崎生まれの佐多稲子さんが、長崎造船所を退職した父に連れられて上京して
住んだのは墨田区(現)の向島の長屋だった。
彼女は、対岸の浅草や上野、神田の飲食店や工場へ働きに出るようになる。
その頃の体験に基づく短編小説や随想で、ゆかりのある人や事柄が語られてい
る。
遊びに行くとき、勤め先のキャラメル工場に通うとき、関東大震災のときも、必ず
渡った「吾妻橋」の描写では、喜びと悲しみが共存していて胸にジンとくるものが
ありまあす。
今、ビルの向こうに聳えるスカイツリーを見ながら、架け替えられた吾妻橋を渡
れば何を想うか、、、。

2014年12月29日月曜日

おせち料理と里の芋            870


おせち料理も年々簡素化されてきているが、好物のものは手間隙かけて一から作
ります。

yuは、祖母仕込みの煮物と魯山人の教室に通った時の虎の巻を頼りに数日かけ
て、数段お重を大晦日に完成させる。
元旦に集まる親族の皆が、美味しそうに喜ぶのを見て引き継いできたカイがあった
ことを、実感するようです。

今日の夕餉は、オーイ里芋煮の途中、別バージョンで熱湯にくぐらせた里芋をオー
イゆず田楽でいただいた。
伊豆高原自家栽培のとりたてで、けば立つ表皮とその下の薄皮が見事に分離し丸
ごと皿にのせられた。
ゆずを摩り下ろした本格的ゆず味噌の香りがひろがり、里芋の粘りが口のなかで
満遍なく蕩ける美味しさだった。

山の芋(自然薯)と里の芋は、日本古来からの伝統芋で、自然栽培することでこそ
大昔からの味を味わえることが解る。平安時代から、民話の中にいろいろ面白い
話もある。因みにジャガイモもサツマイモは外来で、粘粘がない。

加藤登紀子ほろ酔いコンサートへ    869


有楽町・よみうりホール(2014・12・28影:Tab)
お登紀さんの歌はyuが好きで、あきる野キララホールのライヴに同行したの
が最初です。

毎年積み重ねてきた一杯やりながら聞く暮れ最後の「ほろ酔いコンサート」を、
今年、歌手50周年として聴くこと、なかなかの乗りだった。
歌自身にもパワーを感じるが、時系列でエピソードを交えながらのかたらいは、
アジテーションにもにて年々冴えわたってきている。
古希を迎えたことで、歳を逆にとりながら孫の歳に近づく若返る感覚を大事に
するようになってきた、と。

今年はさらに『新宿でん八物語』に、70年代前後の「でん八そのに」のことを執
筆して盛り上げてもらった。感謝です。

2014年12月28日日曜日

三浦大根と里芋と             868

2014・12・28 影:Tab

三浦大根買出しには、暮れの今日がギリギリの日です。
早朝にあきるのJAに、なます用三浦大根に限定して買出しに出かけた。

ところが、今年から産地の名称を商品に明記することに厳しい制限がかかって、
三浦大根の種で栽培したものと思われるが、「おふくろ大根」の名札がかかって
いて戸惑った。農家の人に聞いたところ、硬さや味は変わらないとお墨付きをも
らったが、、、。

福来るときは集中するのか、親友Oケイくんが伊豆の別荘で手塩にかけて栽培
した里芋、大根、梔子、レモンを持参してくれた。春先には春野菜をもらったが、
昔田舎で食していた懐かしい風味と豊な味を思い出す。
また、カマさんからも地元浦和の見沼田圃の名産「里いも」と屋久島自家製唐辛
子が届いた。
この正月は、お二人自慢の里芋を衣かつぎはもとより多様に使った料理がお重
に重ねられるのが楽しみです。

2014年12月27日土曜日

恒例のW忘年会は染太郎で       867

浅草染太郎(2014・12・26影 Tab)

浅草雷門近くの「染太郎」に時間通り、男女同等の人数が参集しました。

数年前にも浅草を散策して流れて、お好み焼きで知られるこの店で宴の席をもっ
たことがある。
戦後直後の創業で、以来浅草の粋な衆がが好んだ味は変わらず受け継がれて
いる。変わったといえば、時代の流れか、若い娘さんや外国人が胡坐して鉄板を
囲む姿が目立った。

今回は、春先に大きな闘病生活をして、復帰して間もないYk女史が遠方から馳
せ参じて、元気な姿を見せてくれたのがうれしい。
残念ながら、日光に、青梅に、銚子岬に、旅行した仲間のカドクラくん、ヤナギダ
くんはいません。
昨年も同じ26日に会をもった。その時は両人出席叶わず電話でメッセージを受
けたのが昨日の事のような気がして悲哀を感じる。
こうして一年が経つのは早い。

二次会は、わざわざ浅草まで来ているのだからと、戦後の風景が残る「ホッピ―
横丁」で客引きの声に釣られてテント張りのお店に入る。ホッピ―で再度乾杯!

 (←ブログ2013・12・27「W+恒例の忘年会」) 


2014年12月25日木曜日

リアス線が貫通する!          866


3・11一年後の大槌駅ホーム(影 Can)
東日本大震災で壊滅的被災して、復旧の見通しが曖昧だったJR山田線の釜石~
宮古間(55・4㌔)の再開が決まった。
岩手県と沿岸12市町村は、第3セクターの三陸鉄道にJR東日本から移管すること
を、ニュースで知った。

やはり良いことなのかな、と思うようになった。
最近までは、バス道路を整備することで鉄道の代替になり、膨大な復旧費用の投
下は無駄使いに思えた。バス路線は停車場も多く通勤、通学の日常生活に馴染み
つつあるようだが、、、。
やはり、大槌町から釜石市の学校に、山田町から宮古市の学校に横断的に通学す
る生徒さんたちにとって、鉄道はなくてはならない足として歓迎されるでしょう。

三陸鉄道北アリス線は、NHK朝テレで一躍脚光を浴びているが、そもそも赤字路
線を引き継ぐ大槌町と山田町は財政負担を抱えることになり、裕福なJRが復興を
支援する構図になるのであろう。
企業ボランティアとして、大いに貢献すればイイのだ。

(←ブログ2013・9・22「大槌駅 記憶の断層2」

2014年12月24日水曜日

雑感                     865


とどめなく批判し、疑うことをやめない精神。
なくなった後も、映画館のなかで見ることができる。
衣擦れの音が聞こえた。
人間らしくやりたいナ/トリスを飲んで/人間らしくやりたいナ!
筆の穂先まで神経行き届いた鋭さ。

いまデモをするアラブや欧州の若者を見ていると、若いときの自分たちと重なり
ます。
働いても人生がよくならないと思うと、過激になる。団塊世代はそうならなかった。

対応してくれた人の印象で、その店の良し悪しが決定づけられることは多々ある。
~単純に他店の値段が安いから、だけではないのだとおもう、、、。