2014年11月29日土曜日

白黒のさり気ない装丁の暖簾をわけると 840

紀伊國屋書店平台(2014・11・28影Si)
28日に取次搬入された新刊が、夕方には紀伊國屋書店で平積みされていた。
「大槌の風」サポーターの節ちゃんが書店店頭で『新宿 でん八物語』発見して、
早速、メールに転写してくれる。ありがとう。
特別に送品優遇されているのは、昔から知るところながらそれにしても早い対応
に驚いた。
本買ってください! 「大槌の風」の支援に繋がります。

本書で、ありがたい返礼をもらった。
*編集者のMmさんから
~見事な出来栄えにおどろき、かつ感激しました。
白黒のさり気のない装丁の暖簾をわけると、そこには、熱気のあふれる懐かし
い青春の世界がありました。
一夜のうちに、あらかた読みつくして、みんな同じ場所と時間を生きてきて、その
感慨をも共有していることを確認して、もうひとつの感慨にうたれました、と。

*校正者のYnさんから
~約一年がかりの大変な作業でしたでしょう。ご苦労さまでした。とてもステキ
な本に仕上がりました。
来月、12月でナガタが亡くなって一年、思い出のつまったこの本が、何よりの
供養になります。(~中略)


2014年11月28日金曜日

「復興支援・はむら」の会に出席     839


初めて、地元主催の東日本大震災復興支援の集まりに参加してみた。

参加のきっかけは、わが羽村市の地域振興課の課員に復興支援に取り組んでい
る団体、個人の交流会へ誘われたことでした。
日頃、市として東日本大震災の復興支援へ職員の派遣など、活動的な報告が聞
かれなかったので、市の姿勢と活動団体の存在を知りたかった。
3年半が経過した今こそ傍観者でなく気を入れなおして、長期にわたる支援体制を
創ってほしいと、発言してみた。市の立ち位置は不明のままで、消化不良で終わっ
た。
まあ、僕自身はあくまで個人の立場で無理せず、関わり続けていく覚悟でいる。
集まった数団体から出る言葉は、活動費の捻出が時間の経過とともに厳しくなって
いること、つながりをどのようにして形成していったらいいのか、など等の声だった。

集会の進行役は、石巻市に被災直後に杏林大学の学生80名を連れボランティア
に入った教授がつとめた。

街の記憶                  838


1960年代も、今現在の新宿24時に目立った変遷はない様に思えるが、、、。

JR新宿駅西口ロータリから広がる高層ビル群や南口のデパートは、50年前に見
ることはなかったし、今建築中のコマ劇場跡に出現する巨大ビルも街並みの変遷
ではあるが、ここで云うのは街文化のことです。
『新宿 でん八物語』を作っていて、そこで語られ書かれたものから、新宿といった
独特な磁場をもつ雑踏の「街」を今更ながら感じています。

勿論、戦後の残存を持ちながら高度成長期を経てオイルショック、リーマンショック
など経済の乱高低が繰り返えされるなか、豊かさと閉塞感が時代の移ろいになっ
て身体的にも変容を遂げてきていると思える。
セッチャンに連れられて、駅中央口通りにあるジャズバー「キャット」のカウンターに
座ることがある。新宿に根を下ろして長く、常連客がいつも静かにチビリチビリやっ
ている。
高年齢の客が多いが、60年代に地方から都市を目指してやってきて、飾らないで
受け入れてくれる新宿の街が居心地がよかった。個性的な喫茶店も多くあった。
確かに、かつての熱狂はない。

2014年11月27日木曜日

スタッフ&サポーター打ち合わせ    837



でん八・50周年記念パーティーの会場確認と進行内容について打合せをする。

会場となるホテル関係の大枠については、大病の後を押してオサダNくんが大枠
を決めており、今日はイベント効果係りのサポータを買って出てくれているオザワ
Kさんと、写真編集上の合意や音楽関係出演者の調整を担う松尾コウジとのツメ
に立ち会う。
そこに、正午の水曜会に出ていたイチカワくんから、当日使う名札入れを無償で
提供するとのメールが入る。
こうしたサポーターの申し出を多数もらっているが、本当にありがたいよ。

夕方からは場所を、でん八に移して司会役のセキネちゃんやセッちゃんが加わり
パーティー進行の最終の打合せ。
出席者名簿をみたが、予測以上の出席者で、ひとえに今は亡きアニキとアキサン
の人徳であり魅力なのだろう。
なかには、車椅子での出席者、遠方京都から上京する女性ありで、誰が主賓格
なのか、僕には判らない。
司会推進役のセキネちゃんは、大学祭の実行委員長時代から取材記者や講演
などを重ねてきただけあって、仕切りや本領発揮で見事なまとめをしてくれた。
出来上がったばかりの記念本について、苦労をねぎらってくれ嬉しい限りです。


2014年11月25日火曜日

マチカさんから               836


マチカさんから、電話をもらう。
『新宿 でん八物語』の執筆者の一人ですが、丁寧な礼司でした。

芸名がMACHIKAさんですが、到着原稿を読んだ時、すごく惹き付けられました。
敏腕スカウトマンの手塚さんを頼って40余年前19歳で大阪から上京するのです
が、その時の情景がユーモアたっぷり描写されている。

お母さんからの5万円の餞別を握り締め、新幹線「こだま」に飛び乗って東京に着
いたものの行き場所がなく、銀座、新宿、上野と電車に乗ったり、下りたりしてい
るうちに、大きな荷物を持ったまま上野公園のベンチに紐で足をくくりつけ野宿し
た体験が語られる。
数日後、手塚さんとコンタクトが取れ、新宿三越裏の「でん八」に連れて行かれ、
暖かいおでんと熱燗を目の前にしたとき「ドッカーン」と頭から殴られたような衝撃
を受け、もう涙が止まらなくなって、泣き続けたと、、、。

それから半年後、読売TV「全日本歌謡選手権」10週勝ち抜きチャンピオン(26
代目)。あの大スター八代亜紀と同期だそうです。
新宿のクラブリーやムーランルージュで歌う仕事が多く、打ち上げは必ず「新宿
でん八」だったようです。

マチカさんのマネージャーだった手塚さんとは、アニキやアキサン等と青梅での、
思い出深い一泊宴会旅行に一緒したことがあるが、今は、もう居ない。

2014年11月24日月曜日

第一回 「フジモリ25」無事終了!    835


25キロハーフ&プラスのマラソンレースを無事に終えまかした。
早朝は、富士山が霞んで見える曇り日ながら冷え込みがなくて、マラソンにうって
つけの好日和!

Gyoは、過労疲労気味ながら、元気にスタート地点の多摩川土手、郷土の森観光
物産館へ電車で向かう。
一方、ゴール前1キロを走るハルとボランティアの僕たちは、羽村の堰、羽村大橋
下の土手へ集結する。

正午のスタート合図を確認して記録を録り始めるSch、スタート地点から赤帽便で
運ばれた選手の小荷物を敷物に要領よく管理するyu、僕は写真係でカメラアング
ルの格好の場所探し、そしてしんがりハルは昨夜、色鮮やかに書き上げた順位の
旗をゴールテープの周辺に靡かせる。

選手は、多摩川に架かる関戸橋~石田大橋を過ぎ日野橋に到達。この地点でま
だ10キロ。
ベースは川沿いロードながら、時に外れて住宅街を通る所があったりするので、
単独走者に迷い子がでた。
日野橋の次は立日橋、JR中央線を越えて多摩大橋で残り10キロ地点まで来る。
ここから、多摩川緑地運動公園を抜け、JR八高線を潜ると拝島橋が見える。残り
5キロに到達。この最後の地点で音をあげた走者を車で救援に。
マラソンの20キロ地点は最高の難所と聞いている。
一気に、睦橋、多摩橋、永田橋を駆け抜けてゴールテープが待つ羽村大橋に!

優勝者は、先の北海道マラソンで苦杯をなめ雪辱に燃えるナカジマYでした。
彼は、勝者の月桂樹を戴きハルの手作り小旗を振って、最高にうれしい! と。
また、第一回目の大会が成功裡に終了したのは、ボランティアのお陰と選手一同
に感謝され気をよくしいるところです。



2014年11月23日日曜日

たまリバー/フジモリマラソン25     834

後方に羽村大橋(2014・11・23影 Can)

いよいよ明日、第1回たまリバー「フジモリマラソン25」の号砲が鳴る!

大会の規模は公表しないでおく。
第一級河川多摩川の土手を上流に向かって走るロード環境はすこぶるイイ。
コースに点在する多摩川に合流する淺川、秋川、平井川の河口を見ながら、桜並
木の紅葉のなかを疾走する快感は最高のはず。
今回は、内々のレースのようだが、話題性いっぱいで評判になりそうな予感がする。

前夜祭でボランティア部隊は、カメラの設置場所やゴールテープの位置確認(玉川
兄弟立像)や記録のとりかた、銅像前での表彰式の具合など、細かい指示をGyo
から受ける。