2013年1月31日木曜日

大槌のおんなたちの話を聞く会



東日本大震災に遭った岩手県大槌町の被災と復興の今を聞くミニ集会を、東京都
内の4箇所で催します。
この企画が実現するキッカケは、ひょうたんからコマで、被災地大槌町の海鮮物や
地産商品を購入支援してきたなかで生起しました。


日程 2013年2月15日、16日、17日
①    15日金曜日――神田の三省堂(放心亭)     13時~

②    16日土曜日――国分寺市のけやき台団地集会場 13時~16時
  
③    17日日曜日――国分寺市の本多 エコメッセ    11時~13時
④    17日日曜日――新宿歌舞伎町の「大槌復興支援居酒屋・でんぱち」
大槌の海産物の料理で     17時~20時
 内容の基本 
16日けやき台団地の場合――司会は増田
◍写真パネルの展示――被災地の状況・変わった風景と変わらない風景:藤森
◍あいさつ――震災の大槌町の経緯・ムクシさんたちの紹介:藤森
◍対話・ムクシさんたちと  聞き手:藤森・増田
◍会場との対話             
   ◍「命の釜」聞き書きから:増田 
◍インドネシアのアチェの地震と津波から8年――歌で伝え合う世代:高藤
◍まとめ――継続的な連携を!
◍大槌町の人たちのあいさつ
◍海産物販売

主催・大槌の風 特定非営利活動法人
  共催・けやき台団地防災委員会・「大槌のおんなたちの話を聞く会」

  参加費―――1000円以上+実費
*本会は、復興の推移にそくしたいきの長い支援活動を継続して行います。
 皆さまのご賛同、ご協力をよろしくお願いいたします。
   



2013年1月29日火曜日

311大津波被災! 写真で見るⅣ


安渡小学校校庭の仮設住宅
仮設の一室に集まって茶話会のオババたち
ここで聞き書き(S増田) 16

被災した安渡集落
中央が高台にある小学校で近くまで津波の爪あと 17

三陸鉄道浪板海岸駅の左右の架橋に線路は無い
大津波は後景の松林と国道を越えて人も民家も鉄道線路も呑み込んだ!
18

大槌駅痕から中心市街を望む! 19

屋敷痕(手前)と県立大槌病院(後景)
鉄骨(中央)を根こそぎした津波の爪あとに唖然!
20




2013年1月28日月曜日

311大津波被災を写真で見る Ⅲ

命の大釜  11

海底から土ぼこりを巻き上げて津波襲来!(安渡) 12

津波襲来直後・家屋も鉄道線路も消えた! 13

波板観光ホテル(写真下に1階) 14

民宿の庭から波板観光ホテルを望む! 15
民宿の若主人は大槌町の消防士で、311津波人命救助中に亡くなった。
一人は助け、他の人を消防ホース伝いに救助にむかて未だに行方は分っていない。
松林の奥が波板観光ホテルで、大津波は中央を走る国道を越えて山に向かってか
け上ったという。
テーブルの花とお酒は、老主人が毎日海にむかって息子に語りかけ、未だ、弔うこと
が出来ずに佇む姿とともにあった。

2013年1月27日日曜日

311大津波被災 写真で見る Ⅱ


菩提寺江岸寺から大槌市街と大槌湾
中央左白い建物・町役場跡 6

311前の蓬莱島 7

被災2週間後の県立大槌病院(上)と
 家屋が無くなった跡地に呆然と立ちつくすSch。
(下)翌年3月 8

大槌駅から中心市街地 人の気配全くなし、、、静寂! 9

新築の家が大槌川堤防に横転! 10

2013年1月26日土曜日

311大津波被災写真 Ⅰ

釜石埠頭へ乗り上げた外国船 1



江岸寺本堂内に乗用車が転倒漂着! 2



ひょっこりひょうたん島(蓬莱島)燈台流出無残! 3



3・11/2時46分直後を刻む 4



大槌駅とピアノ(調律記録帖も)とボランティアのアキさん 5

2013年1月24日木曜日

水曜日は混線気味に!



昨日は朝から、日販~東京會舘~神田三省堂地下H&2階喫茶~御茶ノ水「穂高」
~国分寺エコメッセへ移動しました。

東京會舘では読売新聞の新春懇親会がこの時期水曜日に催うされる。出版、取次、
広告代理店関係者の知人の多くが会するので挨拶、交流に良い場所になっている。
恒例の渡邊読売新聞社社主の挨拶から、大橋日本書店組合連合会の乾杯でオー
プニング。
立ち話でしたが、児童書版元のImさんと<森の図書館>の話に及び、協力を約して
いただく。

次に今年初めて「水曜会」に出る。Sg、Yt、Ikさん等元気な顔があった。メンバーの
Ttさんは先のベトナム旅行につづいて、ドイツへSsさんと出かけていることを知った。
外国へ旅行すると旅の魅力にとりつかれて間断なくなるのかなー。

三省堂書店を回遊し時間をつぶしして2階喫茶でドタさんと会う。エクアドルへ3月行
きについて聞く。ドタさんたちが命名したガラパゴス島(ISLOTEMALT’MERMAID)
の記念プレート(住友軽金属が支援)を新しく取り替えるセレモニーへ出席することが
主たる目的ですが、あわせて、姉妹島の打診をお願いしているところです。
まだ、大槌の当事者と話を具体的に薦めてないので、近く大槌行きで促進させたい
強い気持ちでいます。

「穂高」では、企画会社代表のEhさんがプランニングしている事案で、本の流通過程
の版元、取次に係わる意見交換だった。継続案件とする。

最後の国分寺でのミーティングは、<大槌の風>主催・けやき台団地防災委員会共
催で、東日本大震災に遭った大槌町の被災者の話を聞き、語らう会の準備と担当分
担についてです。
開催の詳細は次にお知らせいたします。

混線せずなんとか一日の移動を終えました。


2013年1月22日火曜日

「日本の夜と霧」を観た頃

映画「日本の夜と霧」

過日、大島渚の訃報に接し、今日、葬儀がいとなまれた。
第一次安保闘争が終焉した1960年に、「愛と希望の街」、「青春残酷物語」を観
て、それまでの映画にないメッセージ性(力)による同時代感覚に興奮させられた
ものです。
「青春残酷物語」を評して日本のヌーベルバーグという名を与えられ、大島監督は
一気に注目される映画作家になった。
続けて、1960年10月9日封切りの安保闘争総括の<政治デスカッション>映画
「日本の夜と霧」は12日上映中止されました。
僕はこの映画を新宿松竹で観ました! この後が、異常事態になりました。
12日は社会党委員長浅沼稲次郎が刺殺されて日でもあった。
4日間だけの上映で、興行的に不振であったことを繰り返えされても、大島さんは
納得できるはずもなく、映画批評家、ジャーナリストが再上映要求や再上映運動も
続けられたがフィルムは倉庫に眠ったままにされたのを知っています。
大島さんの映画への姿勢は、一貫して権力、階級社会への異議申し立てであった
だろうと思っています。それは、以後の映画作品において、時代の複雑な推移とと
もに映画創りのなかにおのれを発見していくという映画監督として苦闘の行動に表
れています。
大島渚監督を悼む。