2016年5月31日火曜日

情報伝達ツールは的確に       1392

(2016・5・30 影:Tab)
出版社は、書店に認知されるためにジャンル別に数本のラインを敷くのが賢明だ。
そしてそのラインを少しずつ太くしていく。

最近書店へ行って感じるのは、以前ならジャンル別(ゾーン)のキーマンか、規模
によっては店長でよかったが、本部とのつながり、コミュニケーションをとっておく
ことの重要さを感じる。

情報伝達のツールは多義にわたってあるのだろうが、或る店長から、こんな情報
をもらった。
本部で集約された各出版社の「案内」をスキャンして、ネットで各チェーン店へ送
られる。
それを、毎日、各ジャンル担当者が一堂に会して発注の有無を決める手法。
なるほどと思った、スピーディーな決済で、同一情報の職場内での共有にもなる。

書店訪問はいまどき、労力と時間の無駄使いとの説をよく聞くようになった。
だが、出版・取次・書店業界こぞって厳しい逆風のなか、やはりきめ細かな書店
へのコミュニケーションによる商品提案こそ、売上をつくる突破口になるだろう。


アキさん、83歳か!         1391

(2016・5・30 影:コージ)
紀伊國屋書店に寄って、数ヶ月ぶりに夜の恒例「でん八会」に出る。
アキさんのちょとファショナブルないでたちは知られているが、Siさんかの誕生
祝ハンチングを被った姿、まだまだカッコよかたな!

「新宿でん八50周年」のイベント後に二度も大きなけがをして病院でリハビリを
継続している様子だが、その甲斐あって歩調も回復し覇気が感じられる。
高校生のときに吐血し結核を発病して以来大病と背中合わせで生きているよう
に見えるアキさんだが、弱音を吐いたことがない。
むしろ、経験譚を聞くだけで勇気づけられる。

20代の若いとき結核を患った母も、唯我独尊的療養後生活で85歳まで長命で
あった。
その母の没した年齢に達したアキさんから、僕の母親について「今、同年だね」
の言葉をかけられたのには驚いた。戦後直後に若くして結核になる人は多く、
患者同士が共有すた悲哀を感じさせられた。

(←ブログ:



2016年5月29日日曜日

運動会の花形徒競走         1390

(2016・5・28 影:Can)
写真機を持って以来、事あるごとに家族の写真を撮ってきた。
なぜ家族の写真を撮るのか、と云うのは一つのテーマになる。

きょう体育日和のなかハルの小学校の運動会が催された。
彼とおなじ幼少時の自分の体験から、花の徒競走で上位に食い込みたいと勝負
を意識し始める時に当たるように思う。
今年は今までになく内に秘めた競争心を、何かにつけ感じさせられるので、ちゃん
と一枚の写真に落とし込んでやろうと身構えてスタートの一発を待った。

スキーの滑降写真でもそうだが、動きにスピードあるモノのフォーカスは難しい。
この意識が強く、安直にも連写撮りに切りかえて、走者が望遠のフレームに入る
ところでシャッターを中押ししても焦点距離が機能せず、1位で駆け抜けるのを見
届けるだけに終わった。

昨年の50m走は、テープを切る手前で僕のカメラに気づき笑って手を挙げたこと
で1位になれなかった結構ユーモラスな一枚が残っているが、今年は、比べようも
ない失敗をしてしまった。

(←ブログ:2013・5・3 「羽村の堰・ハル魚を捕る」)
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(←ブログ:2016・5・23 「ハルのサポーター/スイミング篇」1384)

2016年5月28日土曜日

「はな子」が逝去されました。      1389



今夕、吉祥寺駅のニュース動画板に「井の頭自然文化園のはな子が逝去されまし
た」 と、テロップが流れていた。最高齢69歳だった。

朝、僕が洗顔しているとき、朝刊を読んでいたyuが酢頓狂な声で「ハナコが死んだ
!」と言い。続けて、小学校5年生の作文で入賞した思い出があると、哀悼してい
た。
井の頭公園そばの下連雀で育ったyuにとっては、小学生当時、身近で感じる巨大
な動物であり、それに戦中におこった上野動物園の悲劇と重なる物語性を持ちつ
づけたはずです。
実際に目前で触れた「はな子」は、小さい子供の目線に優しいと云うより荒れて盛
り上がった凸凹皮膚がなんとも強烈な印象として残ったと言います。

タイ生まれの「はな子」は、1949年戦後初めて来日したゾウです。


新宿から渋谷に           1388


昨日、紀伊國屋書店新宿南店に数年ぶりに寄る。

1階から順次上階にまわって見ておきたくなり、3階ではタリーズコーヒーで休み、
結局、7階のサザンシアターまで上がった。
紀伊國屋書店にして20周年を前に撤退とは、感慨深いものがある。

澁谷へハルを迎えに向かう。
渋谷駅前の「ハチ公」前広場は若者と外国旅行者であふれていた。
55年前のこの場所には木の植え込みはなく、忠犬ハチ公がぽつんと座していた
ように想う。
熱い真夏、原水禁「米・ソ核実験反対!」の署名・カンッパ活動をしていたことが
よみがえってきた

2016年5月26日木曜日

サイパンの陥落と父の引揚げ     1387

ラスト・コマンド・クリフ(影:Pen)
太平洋戦争関係の本を読んでいて、またまた父親のサイパンからの引揚げの時期
と思考回路にこだわって、「歴史」の深みにハマってしまった。

太平洋戦争は、昭和6年(1931)の満州事変の勃発から、昭和20年(1945)の
ポツダム宣言受諾までに刻まれたエポックになる「戦争の痕跡」をたどれば、大概
を知ることができる。
僕が知りたいのは太平洋戦争15年のことよりも、父親が昭和12年に教師として社
会人の一歩を踏み出して間もない16年には、サイパンの小学校へ赴任した事実で
す。
引き上げて郷里に帰ってきてからの父は、母や祖母、そして幼少の僕にサイパンに
ついてほとんど喋らなかった。

昭和18年(1943)9月30日、南太平洋で敗勢濃いいなかで「絶対国防衛圏」とし
てマリアナ南洋群島を設定。
11月24日、ギルバアート諸島の守備隊玉砕。
昭和19年(1944)19年2月23日、マリアナ諸島が初の大空襲。
3月30日、連合艦隊の本拠地パラオも空襲。
当時サイパンは、陸軍兵力2万5500名、海軍兵力6200名余りが守備していた。

このとき、一般人として教育者たちは引揚げ船で本土に帰えらされた。
父親の乗船した船が最後の帰国となった。

6月11日から12日、アメリカ機動部隊1100機をもってサイパン空爆開始。
13日から14日には、艦砲射撃も加わり18万発の砲弾が撃ち込まれた。
15日、西海岸南部に上陸。計6万2000名が上陸。
18日には、飛行場が占拠され、日本軍はタポチョ山から残存兵力で抵抗線を敷い
た。
死者軍人3万人、民間人1万人とされる。

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2016年5月25日水曜日

紀伊國屋書店南店閉店        1386

紀伊國屋書店新宿南店書(影:Tab)
紀伊國屋書店南店(1245坪)が閉店するという。
6階の洋書売り場は残すようだが、、。

撤退の理由は、いろいろあるのだろう。
本屋さんの老舗としての紀伊國屋書店であるなかで、新宿南店に限って2012
年に改装して、タリーズコーヒーを入れたりイベントスペースを設けるなどの新機
軸で購読者との交流の場として活性化されて順調だったはずが、どこで狂いが
生じたのだろうか。

4年前に、ジュンク堂書店新宿店が三越側の事情もあって撤退したことで、専門
書籍の売れ行きが伸びたが、新宿南店の店舗経営を黒字化するにはいたらな
かったようです。
本好きの新宿紀伊國屋本店ファンは根強く、わざわざ南店へ行かずとも紀伊國
屋ビルになびく人が圧倒的に多いと思う。

高島屋の家賃が高騰して契約更新が厳しくなったのが正直なところかも知れな
い。
ここ12年ずっと、書籍と雑誌の売上は落ちているわけで、紀伊國屋書店と云えど
も厳しいはずです。