2012年3月30日金曜日

災間 とは

遠野駅舎

東日本大震災の後に生きているのであるが、今まで起こった歴史的災害のことを
考えると、「災間」を生かされてあることが事実であるように思う。
すでに、2011・3・11の溢れるばかりの記録(紀行)や写真集や映像を目にして
きているが、この大震災を経験したことで、過去のことではなくて、いつの日かまた
来る災間のなかで、読んだり、見ることをしなければならないように思える。

僕の場合、遠野から仙人峠を超えて釜石に入って、初めて甚大な津波の被害を目
のあたりにして、言葉をなくし涙が溢れてしかたなかった。なにも、これまで見たこ
とのないものを見てみたい というおもいで大槌に足を運んだのではなくて、被災の
家族があったから取るものとらづに駆けつけたい気持ちからだった。
私的なことから、公的なことへも関心が沸々と湧き、いまの活動になっています。
この歳で、精神的に何が掘り起こせるかは自らに期待していますが。あまり何らか
の意味付けはしないことにしています。

【コメント&批評 27】

*思えば 洋泉社からは翻訳も含めて 三冊も出
 していただいたのに、どれも売行きが悪くて す
 みませんでした。
 今 絵画をやっていて思うのですが やはり音楽
 ものは難しいのかなと、、、。
 石田さんとも話したのですが 石井社長のくだり
 は胸がつまるものがありました。一度しかお会い
 していませんが たしか休日には農村で畑作業
 が趣味で 元気満々のイメージでしたのに、、、。
 (後略) 
 最新著書同封しました。パラ読みしてください。           
                 ドイツ文学者・KN

*過ぎ去るは速しと申しますが、独立されて27年
 ですか 感慨無量です。手許にある未来社15年
 の記録と重ねて読ませて頂きました。
 私も信濃毎日時代、未来社担当7年でした。今も
 息子たちにはその時代のことを話して少し威張っ
 ています。
 私も定年後14年となりました。5年ほど前より東
 京支社時代の出版OB会には出席していますが
 今年は欠席でしたが、先日、先輩の金子さんより
 藤森さんのこと、お聞きしました。懐かしく思って
 いたところでした。(後略)
               前信濃毎日新聞・MS

2012年3月29日木曜日

『私記』のこと

書影
『洋泉社私記』(ISBN978-4-9906154-0-6/非売品)について多くの方々から、
有難い批評やらコメントを寄せていただいた。ちょっとほめ殺しかなと思われる
ものもあったが、概ね出版で同時代を共有した証たりえたのではないかと、安
堵しています。
手紙で 葉書で メールで そして電話で、懐かしい方もいて感謝の気持ちでい
っぱいです。
なかには、出版業界と縁の無い友人もいて、行間を読み鋭い意見を書き送って
いただいています。(別項に)
いづれにしても、洋泉社前史なるものが補足されるべきかと思い至っています。

【コメント&批評 26】

*49年もの長きにわたり、出版業界へのお勤め、
 お疲れさまでした。
 『洋泉社私記』拝読させていただきました。藤森
 さんの本や出版に対するあつい゛思い゛、愛情が
 ひしひしと感じられました。また、人脈の広さにい
 まさらながらに驚き、他人とのお付き合いを大切
 にされているところなど見習うべき、と勉強になり
 ました。
 藤森さんが、岩手県大槌町をたびたび訪問され
 ていることは、人づてにうかがっておりました。
 (中略・ご家族を亡くされており、ご冥福をお祈り
 申し上げます。)
 藤森さんの今後の活躍が、私の励みになります。
 (後略)                              IK

*27年の軌跡を編年体で綴ってあるので、その時
 時の自身のあり方と照らして楽しい時をすごすこ
 とができました。
 それにつけても、20年前の『日本建築百葉集』の
 発行や、それに先だつ江森一夫君の結婚式、丹
 沢の「寄厳精舎」への来訪など、藤森さんとのお
 つきあいがなつかしく思われます。
 と記しているところに金正日死去のニュースが入
 りました。゛日韓併合゛などといったとんでもない過
 去が蘇って、おちおちしていられない心境です。
                       著者・AK
 
*興味深く拝読。
 出版界の淡々たる記述が特に営業面から如実に
 記され、その流れの有様が私にはよみがえって来
 る上梓でした。「出版」物そのものがグーテンベル
 グ以来の変革期に来ているとは言えコンテンツ自
 体をうみだすものではないことを再認識させられま
 した。
 まとめられ上梓された事、ご苦労様でした。
 思い出の人々が、走馬灯のように出てきました。
 企業50年説にヨウガンバラレマシタ。
                     トーハン・OK

2012年3月28日水曜日

ほんの森館の主宰者・佐々木さん、4・7会へ出席


佐々木 Itaruさん



4・7の会の事務局会議があった。110人の出席者が確認された。この時期、人事移動
の発表があって、引継ぎなどでてんやわんやの様相を呈したいるなか、よくこれだけの
人が参集していただけたと思っています。出席者の中には、大槌町の<ほんの森館>
の佐々木さんに遥々上京していただいたり、Wから50年来の旧友が京都から駆けつけ
てくれるという。
この会を発案していただいた当初はありがたいこととうれしかったのですが、日が迫って
きて少々おっくうになってきています。
ひさびさの懐かしい顔にあえるのが楽しみでもあります。発起人の皆様からは、被災地
とりわけ、大槌への支援アッピールになれば良い とありがたい言葉も頂いています。

【コメント&批評 25】
*水曜日、深夜に帰宅したのですが、ページをめ
 くり始めたところ止められなくなりました。
 社名の由来、処女出版『「死霊」論』と昨日のこと
 のように思い出されます。
 藤森さんの交友範囲の広さ、編集者から経営者
 へ転身のご苦労、また、刊行図書目録も自らの
 歩んだ道と重なり合い興味深く拝読させていただ
 きました。
 石井さんが亡くなられ、その後、様々なことがあ
 りました。(中略)
 私記を読ませていただき、商品としての本ではな
 く、どのように本を作り、本を販売していくのか、
 その原点を再度考えさせられました。
                               SN

2012年3月26日月曜日

羽村の堰対岸の浅間岳へ孫と登る

浅間岳の頂上から
わが羽村の堰の対岸に民俗博物館が在って、その脇(上記写真の手前右)が登
り口にあたる浅間岳(在者は向山と呼称)がある。
急におもいたって、遊びに来た孫にリュックと水筒を持たせ、山登りとあいなった。
息子が幼少のとき友達と向山でよく探検ごっこをして遊んだ話は聞いていたが、ま
さか爺さまのぼくがお伴をすることになろうとは思ってもいなかった。
小高い山だが頂上は見晴らしよく、ゆったり流れる多摩川と羽村市街が全貌でき
我が家の位置も俯瞰することができた。
被災した大槌町の市街中心を大槌川が流れていて、その河口から大津波の真っ
黒い怪獣が襲いかかるように3キロばかり駈け上がったと聞く。
向山から下山して疲れを癒すように多摩川の岸辺に足を浸してみたが、昨年6月、
大槌川にあふれた瓦礫出しにいった時も、昼のおにぎりをつめたい水辺で食した
ことを思ったのである。大槌川の場合、鮭が遡上する美しい川が一変して、ひっく
り返った船や自動車や家屋が未だ処理できないである悲しい風景だった。

【コメント&批評 24】

*ざっと目を通しましたが、良くここまで、綿密
 に記録されておられたことを驚いています。
 さすが、出版界に身をおいた方だから、でき
 たのかな と思っています。
 私にこれだけの物(記録)を書けといわれても
 とてもこれほどのものは書けないと思っていま
 す。私も79歳になり字をどんどん忘れて辞書
 を引く始末です。この本の目録のなかには、
 私も何冊か持っています。
 これからも活躍されることを、祈っています。
                       SY

*出版社回覧のテキストになりますね。
 長年ごくろうさまでした。
 『超時間文学論』は今も國學院大學の教科書に
 使っています。「面白い」といってくれています。
                    教授・SM
 
*社名の由来の話、今まで知りませんでした。
 (さらに前史があって、現代新社から社名変更し
 て、洋泉社を引き継いだ事象については、機会
 あらば、触れる必要を今となって感じています。)
 埴谷さんの出版社に対する想いも含めて草創期
 の息吹がとてもよく伝わってきました。
 また、藤森さんのご苦労が文章の端々から窺い
 知れ、とても参考になりました。
 小生が、洋泉社で最も印象に残る書籍はなんと
 いっても『クラシックの快楽』でした。当時まだ社
 で自己主張はさほどできなかったのですがこの
 書籍が出たときは音楽編集部に「我が社はなぜ 
 このような書籍が出せないのか」としっこく迫った
 記憶があります。今度お会いするときにまたゆっ
 くりお話を聞かせてください。
                    春秋社・SY

2012年3月24日土曜日

一緒に泥だし、支援物資の搬入をした友人が、、、

泥だしの支援を終えて夕食(釜石の居酒屋)
僕の友人H教授が、昨秋に大腸がんの手術をして入院したことを知ったのは今年に入っ
てからだった。
暮れに、大槌町の仮設住宅で生活する子どもたちと餅つきの計画を立て、8月に泥だし、
物資搬入のボランテアで訪ねたとき、事前に臼、杵、もち米の予約をし帰ってきたのであ
る。このプランナーであり主導者である教授から、12月にはいって自ら調整がつかず中
止の知らせがあったが、うかつにも、このときすでに入退院を繰り返す大病を患っている
とは思いもよらなかったことなのである。
病状は、腸の原発部位は取りきったが、リンパに転移していたので、現在は抗がん剤治
療に専念しているとのことだった。あんなに好きでやめなかった酒もたばこも断ったと、、.
少し暖かくなったら、行動開始と言っていたが、昨日の電話の様子では、手術で抵抗力が
落ちていて、極力、人ごみを避けている具合らしい。(僕の4・7の会へ出られないことへ
の返事)。
彼は、二人に一人のがんですから、仕方ないでしょう と表向きは楽観的だが、友人でも
ある女房共々大変気がかり。
彼から、ボランテアとは何たるものかを、身をもって教えられた。

【コメント&批評 23】

*両眼の白内障手術は順調でしたが、免疫力が弱
 くなったせいか、このところ花粉症にも罹り、目が
 しょぼしょぼで弱りました。
 それでも読み進んでいくうちにあっと言うまに読了、
 その面白さに感服いたしました。
 それにしても、出版に関する本はこれまでにも種々
 あったように思いますが、このようなスタイルの本
 は初めてのような気がします。
 何よりも一出版社の事実に即した展開が出版界の
 歴史とオーバーラップしてくるところがいいですね。
 資料としても貴重な存在だと思います。
 本来なら市販に価する本だと思います。
                    ライター・HM

*帰りの電車のなかで、早速拝読させていただい
 ました。
 藤森さんの仕事への姿勢にはほとほと感心する
 のですが、とは言え意欲と活動は相当なもので、
 他人と出合・納得させ永い付き合いを続けている。
 小生は書店人としての経験が長かったから、顧
 客の方を向くのがいつものくせ、版元さんのそれ
 とは違うのかな と思ったりもしてしまうのですが。
 何はともあれ、あとがき にあるように、多くの人
 に支えられて は確かで同感ですね。
 望月伸光は→伸晃 の指摘。(望月さんゴメン)
           前八重洲ブックセンター・SG

2012年3月23日金曜日

未だ弔えない行方不明者を悼む

嘗ての浪板海岸
かつて、大槌・浪板海岸は片瀬波の寄せる美しい砂辺が広がっていた。

先日20日は、春のお彼岸の中日だった。昨夏のボランティアで泥だし、瓦礫だしを東経
大の先生、留学生らと取り組んだ、岩手県大槌町の江岸寺の写真と、お墓参りする被災
者親子の手を合わせる姿が、昨日の「日本経済新聞」に掲載されていた。
義娘たちのお墓もこの写真で小さく見えるが、いまだに大半の墓石は倒れたままの状態
でしか見ることができなかった。墓石の修復はほんの一部で、遅々として進んでないよう
だ。

【コメント&批評 22】

*(前略)突然のことでしたので驚いたとともに、
 興味深く拝見させていただきました。
 本を手にとってあらためて27年の重みが伝
 わってきました。
 まだじっくりとは読み込めていませんが、私の
 名前を発見して、さらに驚きました。
 洋泉社、藤森さんの歴史に名前を記録してい
 ただいて感慨深いものがあります。
 藤森さんには野球(草野球面、タイガース面と
 もに)のほうでも大変お世話になってかわいが
 っていただいてありがとうございます。(中略)
 名古屋に転勤になって、以前のようになかな
 かお会いできませんが、今後ともよろしくお願
 いいたします。
                  トーハン・MT

*興味深く読ませて頂きました。社史であり個人
 史でもある記録から27年の重みを感じ取りま
 した。よい年でありますように。
                   前未来社・YI

*自分の読んだ本の裏側を知る事ができ、びっく
 りの連続でした。
 まだ海・陸にはむずかしいですが、もう少し大人
 になった時 読んでほしいと思います。(中略)
 本を届ける活動 これからもがんばって下さい。
                       MA

2012年3月22日木曜日

多くの方々と再会できた

我が家のベランダから見えた!今朝の富士山
今朝ベランダから、7合目からの富士山が真っ白い彫刻のように輝いて見えた。
正面が羽村駅で屋根の上にわずかに浮かんで見える。(見えない!望遠レンズ
での撮影でなくてゴメン)

消息を心配していた、電通広告マンの時代に大変お世話になった木村Mさんか
ら電話をいただいた。彼は電通の営業担当で、大手出版社K社を担当する一方
で、小出版社をこまめに回りサービスに余念がなかった。あわせて、アメリカ文学
特に黒人文学に関心があって、ビジネス抜きに語り合ったことを思い出す。
電話の声からは、特別異常を感じられなかったが、リンパ腫瘍を患い病院を出て
から自宅療養に入ってすでに3年になるとのこと。本が読めないのが辛く、そして
筆を持つことが儘ならないらしい。結構、交流のあった方なので音通不通をすごく
気にしていたところだった。
他に、先だって知った坂手S君の死。まだまだある。世捨て人のごとく入山したま
ま消息を断っていたが、体を痛めて都心で病院通をしている友人のこと。
これも、あれも、『私記』から繋がって、葉書、手紙、メール、そして電話をいあた
だけるのだから、恥ずかしながら上梓してよかったと今ではおもっています。

【コメント&批評 21】
*(前略)
 新潮社近くの新会社オープニングじのこと、
 でん八で飲めないお酒で迷惑かけたり等々
 ついこの間の様に思い出されます。
 また、未来社を辞めた後、いろいろ親身に
 アドバイスして頂いたこと、いろいろお世話
 になりました。
 会長を辞したことお知らせいただきましたが
 まだ顧問のような形で行っているのかと思っ
 ていました。長い間おつかれさまでした。
                      NK  
 (僕こそ貴方には大変お世話になりました。)

*(前略)
 改めて藤森さんのご活躍ご苦労を知ることが
 できました。私の目に入る限り未来社より、書
 評・広告も多く順風満帆とおもっておりました。
 27年ということも驚いています。ついこの間ま
 で御一緒に未来社にいたような気がしておりま
 したのに(私の方ばかりでしょうか)又その時の
 方々のご逝去列記にも思いを深く致しました。
                       M・U

*私の著作では、本当にお世話になりました。
 龍円さんのことも心重いお知らせです。
 『私記』を読んで、彼がどうしているのかお尋ね
 しようと思っていました。
 他にも、八森さんのこととか、、、お会いした時
 にでも。(八森君は亡くなりました。)
                        YN