2024年1月8日月曜日

七草粥をいただく          4170

この新年七草粥は僕とyuにハルの三人だから、真白の白米二合をよく洗い水
は7倍ぐらいで釜に入れて炊き上げた。
水気が大分残ってサラサラ感をもたせることが肝腎。
粥を煮る間に七草を刻む。丸餅は芯が残らないほどに茹でておく。
よく水洗いした生をじかに刻んで入れると緑の風味が香り立って自然をいた
だいている実感が生まれる。
ハルはどんぶりめし二杯をさらりといただいた。

2024年1月6日土曜日

柏崎刈羽原発再稼働絶対反対だよ   4169

デジャ・ビュのある光景を見て震えがきた。ニュース報道はやすまることなく
ながれ、能登半島地震は猛威を振るった。

日本列島の直下は繰り返し証明されてきているように、地震たまりの活動帯な
のだ。
12年前の3・11東北大震災はすさまじかった。刻々と暮れていく寒空のした、
石油給油所から燃え上がるどす黒い炎、サイレンの音、緊急避難をおらぶアナ
から影像を繰り出すひと。
そんななかで柏崎に縁者がいる身、また震度7を記録した石川県志賀町に出自
をもつドタさん。年賀の挨拶と一緒に町の様子をレポートして来た。
何故か原発の場所はソンな危険極まりないを選ぶ所に必然的要素がありそうだ。
再稼動がヤマバを迎える。さてさて、、どうする!

近日 日本公開の『オッペンハイマー』を観よう。

2024年1月5日金曜日

梨本敬法君の通夜へ         4168

梨本敬法の通夜が上野・徳雲会館で行われた。

かつて、洋泉社の編集部に在籍していた十人余の者が馳せ参じていた。
また、高校で学院の同期・町山智浩や写真部クラブの気のおけない仲間の献花
をみるにつけ、若かりしころが偲ばれる。写真を趣味とした彼が愛用していた
カメラだろうか、首にかけた娘さんの姿が痛々しかった。
梨本君は法律に強い一面があって、会社のトラブルなど交渉術にも長けていた。
自分のことでも、出版に関わるトラブルにおいてもお世話になった。
飄々とした編集者であったが、今日の参列者の皆なが「梨本敬法は最も編集者
らしい編集者」だったと思っています。
あなたには残ったものにとっての励ましの力があるのです。そのパワーを受け
て生きつづけていくことになるでしょう。お疲れさまでした。

2024年1月3日水曜日

追悼 白川正芳さん         4166

書影(貼り箱入り)
きょう奥様からの葉書で、文芸評論家・白川正芳さんが昨年亡くなっていることを知りました。

最初に白川さんに直接会ったのは、深夜叢書の齋藤慎爾の紹介で1967年秋だったと記憶している。
白川さんは、この年6月に『埴谷雄高論』(豊島書房・刊)を上梓しており、機会があれば会いたいと思っていた。その後も埴谷論に続いて雑誌「深夜批評」や「南北」に掲載された「吉本隆明の方法」に注目しつつ、企画として提案した。そして貼箱入上製本として、永井出版企画から刊行したのは1971年1月でした。
齋藤慎爾が先に鬼籍に入ってしまったこと白川正芳氏との古い当時の交流を想うと去られたものの悲哀は増幅する。 合掌

新春ウォークは旧中山道の板橋宿   4167

恒例になっていた新春の七福神めぐりが変更になり、旧中山道の板橋宿を歩
くことになった。
これまで新年の散策は、各地の七福神巡りを予定してきたが、今年は実検の
うえでハマりがなくて苦労したようです。
それなりに有名な七福神でないと、道迷いになったり、距離がかかりすぎて
所要時間オーバーロードになったりする、老齢者に不向きは避けたい意向か
らの決断。

代替え案の、旧中山道・板橋宿は、東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、
日光街道・奥州街道の千住宿と並び、江戸四宿の一つとして栄えた。
平尾宿、仲宿、上宿に分れており、幕末の激動期には新選組や皇女和宮など
歴史的な話題も多い宿場。歩くのが楽しみだ。 

2024年1月2日火曜日

正月三が日の内           4165

新年二日目は、第100回箱根駅伝に始まる。
駒沢大学の総合力が群を抜いている予想だった。ところが三区で青山学院大学
が追い上げ併走もあったがトップに立つ。そのまま箱根の山登りも快走し芦ノ
湖畔で歓喜のゴールテープをきる。
駒沢大学2位、3位には城西大学が健闘して初めて上位入賞を果たす。
早稲田大学が5位に食い込んだのも上出来か‼

元旦と二日で例年になく新年挨拶の電話やメールの類がヤケに多い。
15歳離れている一番下の弟から久しぶりの電話。年賀状のやりとりはあるが、
携帯の変更で不通になっていた。ところがその間に、38年勤務していたヤマト
(所長)を定年退職してリタイアしているとか、、。「兄いーは声もはっきり
しててボケてないよ」と、一応、喜んでくれる。帰郷の際、会うことを約す。

20代からのおんなともだち(現・特養施設理事長)からは、三年余り忘年会
などの集まり出られなかったことや鬼籍に入ってしまった友人のこと、辺見庸
の最近のブログから、僕のブログについてまで勢いのある喋りに接した。

メールは、ドタさん(土田)からで能登の大地震震度7による被害地(羽咋)
が「能登吉見氏(初代津和野城主)が下向する前の土田荘のあった町」(志賀
町)であると、出自をBlogしてくる。この町には土田という名称が公私にわた
り沢山あるようです。
松本清張『ゼロの焦点』で知られる能登半島羽咋には三回旅をしています。
新年元旦からとんでもない自然災害襲来です。

2024年1月1日月曜日

’24あけましておめでとうございます 4164

元旦の富士山(ベランダから影:Can)
年越しは、初めてGyoファミリー三人がやって来てにぎやかにカニすきパーテ
ィとあいなった。
旧年中は一年みな大きなトラブルもなく、健康でおだやかに過ごすことができ
ました。

明けて、わが家の庭にある「ハル石神社」に新年の挨拶。
二階のベランダから眺めた富士山はミロのヴィーナスのごとく穏やかでくっき
りと浮かぶ。