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| 造山古墳 |
三世紀のころから七世紀にかけて、備前・美作・備中(岡山県)と備後(広島
県)の地域を吉備国とよんでいた。
吉備は古くから食物の生産が豊かで、豊穣の地がひらかれ、文化が隆盛した国
とされ、こうした歴史的風土のなかで生活する人たちは自ずと連帯感において
も表れている。
記紀などの文献にみられる話は、当時吉備国は、政治的、文化的にも、大和に
拮抗した一大勢力だったようで、吉備文化圏としての地位も確立していた。
天皇家に対する吉備一族の親密な関係もみられる。『古事記』によると、仁徳
天皇は吉備国の「黒比売」という美人を召して妃としたが、皇后とのいさかい
で吉備にかえらせるという騒動もあった。二人でうたった歌がのこっている。
備前一宮・吉備津彦神社、つづいて備中に入って吉備津神社、その背後の山頂
にある吉備津彦命御陵、西進して峠を越えると全国四番目にくらいする巨大な
造山古墳を望み、ついで赤松林におおわれて静なたたずまいをみせる備中国分
尼寺跡。さらに行けば前方後円墳のこうもり塚(黒比売の塚)、備中国分寺、
大規模な作山古墳(全長285m)など、古代吉備文化の夢が果てしなく続く。