2014年5月6日火曜日

海の幸を生業にする人々と巨大防波堤。   632


大槌町の記事をよく見かける。最近では、東日本大震災で10メートル超の津波
に襲来され1200人以上が犠牲になっている大槌町の、100年に一度の津波を
防ぐ防波堤のの高さをめぐって町民の意見が割れている現況をしった。

第三者が防波堤について意見を挟むのは気が引ける。しかしながら、3・11直後
から何度か大槌湾ふ頭に立って思うことがあります。
コンクリートの塊をより高く15メートルにしたところで津波の浸水を防ぎきれない
のではないかと思う。リアス式海岸の特性を考えて、際限なく高さを求める設計計
画を立てるのでなく、2011年10月に県が提示している14・5メートルの半分程
度に縮小するのがベターと思っているのだが、、、。
海の幸を生業にする町民の住・食は、高台と山よりに嵩上げで速やかに保障して、
沿岸部は漁業生産基地などの労働の場所とする。高台への移動を確保するため
の高速交通網を整備する。

震災から三年経つにつれて、巨大防波堤の見直しを求める住民の声は高まって
きているようです。海とともに生きてきた人々がコンクリートの城壁の中で一代も二
代…の先々まで生活する景観としては耐え難い。また、漁業は朝晩の海と天候を
みながら自然の予兆を察知して調和してきたのではなかったのか…。さらに、防災
目的とはいえ巨額工事への疑問視と、未だ立ち上がれないでいる被災者への親
身な支援と云う優先順位の問題がある。高さの問題を見直したら復興は遅れると
言うが、子どもたちの世代まで、海とどう向き合うか正念場にきていると思う。
外部に居ながらに気持ちのつながりを持続していきたい。

ハワイでのダイビング。           631

ハナウマビーチ&ウミガメ

ハワイ帰りのシライT君からの話で、今回はゴルフ仲間との旅であったようだが、
ゴルフは勿論のこと、観光もナイトショーなどのイヴェントもコトのほか愉しかった
様子が伝わってきた。

その話は、近々の集まりで詳しく披瀝してもらうとして、僕の嘗てのハワイ体験を
風景で思い出しておこう。
ハワイのダイビングはいかなるものかとあまり期待しなかったが、海の透明度が
深く、泳ぐ魚も多様で素晴らしい海中だった。

フォーパドル(左)&ダイヤモンドヘッド
宿泊のフォーバトルからサンダル履きビーチスタイルで、シェラトンのワイキキビ
ーチまで5分余で行かれた。

2014年5月5日月曜日

こどもの日 ハルと遊ぶ!          630

(2014・5・5影ケイ)

ハル、おたふく風邪(流行性耳下腺炎)で登校できず、週末からわが家で静養す
る。
大事にならないですみ、元気で体をもて遊び気味でアウトドアーしたがるのを許
し、一緒に公園でバッティング、サッカーする。

昨年のこどもの日は、ハルを多摩川・羽村の堰でびしょ濡れになって魚獲りをし
た。彼がその時、素手で獲ったギギ(名前は後で判明)は、庭の小池で厳冬を越
してまる一年、生き延びています。5センチだった身長が10センチまで成長。
決して可愛い魚というよりは、棘があったり口ひげも蓄えておりグロテスクに見え
る。だが、一匹だけが残り体をくねらせて元気に泳いでいる姿は感動モノ。
ハルも掌に恐々のせては、目を輝かせて魅入っているのだから、なんとも貴重な
収獲といえる。
今年も、頻りに川へ行きたがったが、さすがに病気上がりを理由に断念させた。




2014年5月3日土曜日

藤や牡丹や芍薬の花が咲く季節です。    629

(2008年9月影)

この連休は、東北の海岸線を走る予定でした。

上の写真は、3・11被災前に降り立ったJR釜石駅(左)と三陸鉄道釜石駅です。
わが田舎、美作津山の駅に向かうように、この地に何度足を踏み入れたことか。
古くは学生時代、次は1966年の夏、、、この写真の時1209年の秋、被災4年
前にも訪ねているのである。
釜石駅前に賑やかさはなく、1960年代をのぞいて、いつも人がまばらで、うら寂
しく静かな街になっていた。松尾率いる釜石ラグビーと共にの感あり。

釜石は日本最古の釜石製鉄所と共に歩んできた歴史があって、1960年を全盛
に62年以降は鉄鋼不況によって衰退の一途だった。
この駅で待ち合わせて、3・11後の被災地支援と聞き取りの活動で、松尾Aさん
やS増田さんらを迎えて、瓦礫のなかを大槌町へ車で移動しました。
(サンルート釜石で一泊)

2014年5月2日金曜日

「語り合う会」続篇             628

西本願寺あきる野(2014・5・2影)
出席者は、30余人でした。ツカさん、カワベさん両夫人と両子どもさんも参加され
ており、柳田君の子どもに対する優しさに深く感じ入りました。

柳田くんも長い旅に出たということで、王維作の送る詩吟を吟じます。(スノ)
ユニ・プラのアルバイトが新聞社に就職して大いに役立った。(ツカさんジュニア)
若い20代の頃、彼の歯切れのいい声が好きだった!(Kスズ)
タバコはやめられたが、酒は止められないなと、、、。(ミゾ)
柳田くんと、意味のない、何もない、無為の時間を過す中野会をやってた。(エン)
53年のつきあい。人と人とを結び付ける人だった。(イズミ)
友人というのは面映い付き合い。面長な顔にパナマ帽が似合ったな。(サト)

終宴と世話人の一言。
中の会で飲み歩いた姿とWの会での彼とは、ちょっと違っていたなと云う感じを受
けました。良い悪ではなくて彼の立ち居地があったと思う。生と死の区別がつかな
かったが、今日の皆さんの追想を聞いてちゃんとお別れできるかな、、、。(クワ)
最終局面で、、、。初めて聞く出自の話から、剣道は有段でバスケもやっていたと
言うし、英語はトップクラスだったが、高二からは本ばかり読んでいたと、級友の言
葉から、内々のコトはほとんど知らないことばかりだったなぁ。さよなら!(エフケン)

柳田夫人の挨拶。
結婚して49年になるが、私以上の付き合いのあった方々がいらして、今日ここに
主人が嬉々として居るのではないかと思われるほど、羨ましいと思うと同時に感謝
の気持ちで一杯です。

別れの一本締め唱和で終わりました。


鈴村靖爾さんから『生命(いのち)のつぶやき』627

書影(集英社・刊)

K鈴村さんから、ジャン・ドーセ/鈴村靖爾訳『生命のつぶやき─HLAへの大
いなる旅』をいただく。カバーを捲ると鈴村靖爾と署名されていた。ありがとう。

鈴村さんを紹介してくれたのは柳田君で、早稲田の喫茶店で始めてあった頃
を思い出した。
それは、彼の弟、鈴村和成さんがユニークな「ランボー論」を持っているので、
会ってみてほしいと云うものだった。結果、一年後には『ランボー叙説─イリュ
ミナシオン考』として出版できたのであった。

ところが、靖爾さんとここ数年会うこと叶わずで気にかかっていたところ、柳田
君の訃報を知った奥方からの電話で話すことになった。彼もまた、脳梗塞を患
って、歩行困難に陥り入院リハビリ中の様子を知らされる。

この本は、今注視のまととなっている研究活動の問題に真摯に対峙させてく
れる。
ノーベル医学賞のジャン・ドーゼが、免疫システムの発見(HLA組織適合抗
原)からヒトゲノムの解読の試みに至るまでの研究活動を語る科学的かつ個
人的大冒険の人間味溢れる賛歌!
「人間一人ひとりを唯一無二の存在とするメカニズムの解明」の半世紀を回
想する。



2014年5月1日木曜日

故柳田昭彦を語り合う会           626


柳田君が亡くなって三週間が経つなかで彼を語り合う会が、昨日催された。
未だ、彼の不在を実感できないまま、夕刻の雨で濡れた中野駅前の舗装を歩いて
会の場所に向かいました。会場の店先の生簀の魚は勢いよく回遊していた。

途中、柳(リュウ)の青青を一瞬見た気がしたが、、、。
さあ、ヤナギダ君、ここで杯をとってもう一献。もう共に酒を飲み交わす友もいない
だろうから。
こんな情景を想わせる詩吟を、スノさんが吟じてくれた。

サイちゃんの司会で始まった。正面に、数年前に日光朝霧高原に行った時の写真
が飾られ皆で、「彼を偲んで」黙祷。
献杯は、僕がさせて頂きました。

「淋しい。残念でならない。
振り返れば1961年、今の季節、早稲田の銅像横で、初めて、<高校で「弁研」(弁
証法研究会)に出ていた柳田だよ。>と先輩の二見に紹介された。それから半世紀
余り、途切れることなく、「同志的」付き合いだった。
学生運動もそう、仕事もそう、何らかの立場を真剣に実践したとき、逆に現実の状
況の中にあっては、くるりと立場を反転したように見えることがある。
変ったようで換わらない親友関係は、1960年代という時代風潮のなかに僕たちの
立ち位置があったからだろう。
長身の背筋を伸ばし、端正な顔の君が近づいて、右手を軽く上げたように見えた!
献杯!」

司会・進行は、サトミさんと、イズミさんが担当で進められた。

さよならできないでいる。(中・高の同窓イシダ)
紳士でした。その一人がヤナギダくんで、もう一人はツカさんです。(ヒラ)
情勢分析で信頼できた。(マス)
「上京」したとき、偶然、なぜか柳田さんと神田駅ホームであった。(ケイ)
東大駒場に、強引にも泊り込み集会に誘われた。(カワ)
彼のことを、ヤナギダ、チョウジュウロウで、チョウさんと呼んでいた。(クラ)
とにかく、颯爽としていましたね、服装は別として。(フク)
池田書店時代は、将棋をよくやっていた。強かった!(ムラヤマ)
彼が30歳、ぼくが28歳のときに独立、早稲田人脈を大事にしていた。(タカギ)
柳田さんは本が書ける人だと思っていたが、、、残念です。(ワタナベ)
嚥下障害の話を聞いたとき、直ぐ駆けつけられなかったのを悔やむ。(マツ)
──以下、後日に→