2012年5月23日水曜日

訪問力を発揮して佐倉へ


佐倉市民病院に1月に入院して、さくらも散り5ヶ月になる出口君を見舞った。
今月、10日ばかり大槌へ行っていたことをメールで前日に伝えたところ、様子
が聞きたい と返事が返ってきていた。
大病に冒されていた彼は、昨年7月末に陸中海岸沿いの津波被災地を一度、
見ておきたいと、大槌町から南下して石巻まで足を運んで、壮絶な現場をつぶ
さに目に焼き付けて帰ってきていた。
会って第一声は、日食を見た、、、だった。佐倉では、曇っていて金環日食のピ
ーク時を見ることができず、復活半ばから見えたようで、我が羽村がピーカンの
晴れ日に恵まれ完全に見ることができた感動をしゃべると ちょっぴり残念がっ
ていた。
次に大槌町の様子につてだが、僕が訪ねるごとに撮ってきた定点写真を見なが
ら、彼が先に見た町役場、図書館、江岸寺周辺が、瓦礫が取り除かれこぎれい
になったぐらいで、復興が見えてこない変わらぬ風景に愕然としていた。
ところで、彼の病状は、今、抗がん剤(ジェーエスワン)投与の休み調整期間に
入っていて、検査結果も良好で浸食が進んでいない状態らしい。しかしながら、
顔面、右半分の機能麻痺と、朝晩の痛みは厳しく、辛い様子。
一時間ほどしゃべりあった後、屋上へ案内してくれた。病院の前に広がる印旛沼
対岸中央の台地の先に見えるはずの筑波山は曇って見ることができなかった。
がんの進行が止まったままであってほしいと一縷の期待をもって退散した。
台地中央の先・筑波山

2012年5月20日日曜日

大槌・2日目

大槌市街&湾(5・10)
2日目(5/10)
昨日、新花巻に泊り11時に釜石に電車で着いたS増田を迎える。
僕は今回も釜石駅の対岸のホテルに常宿しているいるので、大槌町へは海岸線を
九十九折りに走り30分かけて往復することになった。増田さんを連れて佐々木さん
宅を訪ねるのであるが、その途中に大鎚町の高台にある城山頂上から巨大津波
襲来から14ヶ月になる市街地全域の被災した当時のままの荒涼とした風景を見て
佇む。彼女は無言のままカメラのシャッターを押し続けていた。先に訪れたときより
道路が通り、信号が点滅し、瓦礫が選別され、自衛隊のトラックの行き来が見られ
なくなり、コンビニが一つから数店増えたかな、、、未だ何も変わっていない。
小鎚川を少しさかのぼった場所に、数校の小学校と中学校が合同借り校舎に集め
られ、運動会ではしゃぐ子ども達の歓声を聞き、ちょぴり癒されたが、、、。
佐々木さんの家では、増田さん持参のあわ、きび、ひえ、もろこし、えごま、、、を米
とともに炊いた雑穀試食会となった。食べず嫌いの僕にして、まるで赤飯のようで、
ほくほく感が食をすすめる。


2012年5月11日金曜日

大槌へ/森の図書館を訪ねる

森の図書館/佐々木格さんと
5月9日、東京を早朝に発って、途中、宇都宮と仙台で休憩し、一気に新花巻、
遠野、仙人峠を経て釜石から大槌町へ入った。640キロ9時間(休憩1時間半)
のドライブだったが、一度も渋滞に遭わず快適に走った。
だが、福島から宮城の高速道路は今やっと震災復旧舗装工事真っ盛りの状態
で、波打った所も多々あった。
ほぼ予定通りにベルガーディア鯨山に到着するやいなや、庭仕事中の佐々木
さんが出迎えてくれ、早速、森のなかにたたずむ<森の図書館>へ案内してい
ただく。手作りした<森の図書館>の標識が石に家によく似合う。
こどもの本は、未だ限られた冊数の集まりながら、室内でも、外の森のなかでも
自由に読書できる雰囲気が醸し出され、初期の夢は叶えられている。

第1日目。

2012年5月8日火曜日

連休は日の出山登山

霧の日の出山 頂上

連休のこどもの日は、孫と日の出山に登った。今年はなぜか、浅間岳、箱根駒が
嶽につづいて登山ずいてるな~。
五日市つるつる温泉の登り口から、めざす頂上は3㌔だが、途中、小雨と霧がま
いてきて、意気込んでいた孫が寒がり、不安がりはじめる。鼓舞して前へ引っ張る
のが大変だった。が、彼は、最後の直登攀を一気に駆け登り、僕は置いてきぼり
にされてしまった。
頂上の山桜が満開のなかで、父親と仮面ライダーごっこで飛び跳ねて遊んでいた。
下りは、4㌔の縦走で御岳神社へ出て、無事、ロープウエイで滝本駅舎へ。
この登山も、富士山登山の前振りとか。

【コメント&批評 41】
*目録を拝見してみて思ったこと。普通(?)目録を
 見ると,大体の傾向が読み取れるのですが、正
 直あれもこれもあり。博学プラス雑学書籍の数
 数です。まず主張・志ありき、ではなく、様々な
 価値観や関心領域を認めての本作りをされてこ
 られた旨、冒頭での社名選定の遣り取りから知
 ることができました。
 社内外の個性的な仲間達と共に創り上げてこら
 れた様子が汲み取れました。
 (中略)  
 遠い記憶を辿りながら読ませていただきました。
 村上信明さん?本棚の中に、 「出版流通とシス
 テム」が。84年にサイン入り本がありました。
 少しずつ記憶が蘇ってきました。社会思想社に
 いらした渡辺さん、声美男だったと記憶していま
 す。水谷さん、どうしているのかしら?と思ってい
 ました。八ヶ岳の麓で暮らしていらっしゃる。彼ら
 しいと思いました。山中田鶴子さん、引き継ぎの
 関係で 三ヶ月間位ご一緒しました。物凄い速さ
 で電卓を叩いていらっしゃいました。 
 私が退社した後に藤森さんがお辞めになり、洋
 泉社を設立されていたんですね。   
 あの時期3人位辞めたと記憶しているのですが
 もうひとりは誰だったのでしょう。    
 記憶に間違いが無ければ、藤森さんがお辞めに
 なった後、未来社の人達と一緒に飲み会をした
 と思います。場所は覚えていません。同日だった
 か、洋泉社にうかがった記憶があります。そこで
 赤坂憲雄著『排除の現象学』をいただいたので
 は?それとも、自分で購入したのか?微かで不
 確かな記憶です。  
 長谷川宏著『格闘する理性』が新書になって発
 売されていたんですね。元々の本は、発売当初
 にご本人からいただいています。長谷川夫妻主
 催の読書会、忘年会、赤門塾の合宿にも参加し
 ていたことがありました。10月に摂子さんが他
 界されたと知ったときはショックでした。(後略)
                     y小笠原

2012年5月4日金曜日

OZさんがブログを開始する!

小澤さんと土方山荘へ

わが友人 小澤Kさんはすでにとっくにブログに準ずるものを実行されているも
のと思っていたが、、、このたび僕の<教育的指導>のためにブログをオープ
ンされた。早速開いてみたが、簡素でスッキリした魅力的デザインで編集されて
いた。山好きとは聞いていたが、やはり、野草に関心あって白いタンポポに逢着
するあたり,只者ではなさそう。
情報発信のツールとして、PCネットの有効使用について、いろいろサポートし
て頂けるのがあり難い。これから、大半を一人で活動するNPO<大槌の風>
にとって、広報は重要なキーになるので、後方支援をお願いします。

キャノンのコピープリンターを購入した。(日の出イオン)
ところが、単純コピー機能までは立ち上げたが、なんともその先、PCへの初期
設定がままならず、悪戦苦闘しているところに息子たちがやって来て、使用可能
にしてくれた。
この歳になって、日々進化する情報機器に付き合い、マスターすることの大変さ
をもろ実感している。

【コメント&批評 40】
*早速一読 懐かしい名前を随所に発見 酒井正雄
氏と語り合って中平千三郎氏を担ぎ 人文会 立ち
上げのお手伝いをした東販専門書担当時 西谷社
長になぜか気に入られ 伝通院近くの飲み屋で何
回もご馳走になったこと等 いくつもの思い出が蘇
りました。(中略)
27年の軌跡を見ると 藤森さんとはどこかで何回
かお会いしているはずですが お名前を伺ってい
るだけでお会いできなかった事を残念に思います。
専門書担当以後 広島支店 月販担当 経営計画
(東販30年史作成) 営業企画部 取引管理 と渡
り歩きトーハンでも珍しい経歴となりましたが 平成
5年から神田村 共栄図書の経営に当たり 以後
15年 平成20年に引退しましたが 専門書当時か
らの付き合いは鎌塚さん 清水さん 荒川さんら 
載っている人の中にも何人か見当たります。
亡くなられた方も多くなりました。
刊行図書目録を見ると27年のご苦労の跡がしの
ばれ 西谷社長の志はここにも生きていたように思
えます。(後略)
元トーハン・新井K

2012年5月3日木曜日

被災地へ無料相談を続ける 古谷Tさん(行政書士)

釜石港岸壁乗り上げ船・ASIA SYMPHONY号(2011・6)

昨年7月に、陸前高田市を訪ね各所の応急仮設住宅を戸別訪問し、敷地内の集会
所で高齢者らの生活支援や、中小企業、自営業者むけの事業再建支援を目的に、
無料相談会を実施したのを手始めに、大槌町、山田町へと、2,3ヶ月に一度の割合
で継続しているグループがある。
その中心的荷担い手が僕の知人で行政書士の古谷さんだ。定期的訪問で多くの被
災者に接してきているので、住宅問題、金融返済方法、遺産手続き、戸籍問題等な
どから、亡くなった親、子どものリアルな話まで聞き残してきている。
なんとか力になりたいと努力するが、相談員としての限界を感じざるを得ない と。
東京葛飾に事務所を持つ古谷さんは、区と映画配給元に掛け合い、「寅さん映画」
数本を借り受けて、4月7日から大槌町吉里吉里の集会所など数箇所で上映会と相
談会を実施してきている。
上映会に集まったのは女性ばかりで男は皆無だったらしい。激しい被災のなかにあ
っても、女性には前向きで笑いもあるが、男は漁師仲間を津波にさらわれ自殺者が
出ているほどに、衝撃の憶いに引きこもって内向きになっているのではないか と見
ている。この事態はまんざら大げさでもなく心配している。


【コメント&批評 29】
*『洋泉社私記』拝受、よく27年やってこられま
したね。いろいろなこと、さまざま方たちが想い
浮かびました。それにしても、最近の出版点数
には驚きました。むろん、貴兄とは出版という
ものについての考え方も異なりますし、それぞ
れの道を歩むほかありません。ご健闘ぶりに
感嘆し、ご苦労様と申し上げます。
ところで、埴谷雄高さんの写真ですが、どこか
らとられましたか、わたしの記憶では、トーハン
の佐川亮氏撮影ではないかと思います。(わた
しが同席し『作家の肖像』に使用しました。あな
たたちが訪問したさいの写真なら問題ありませ
んが、念のため。(確かに、使用写真は埴谷さ
んから頂いたもので、クレジットなしで使用した
こと佐川氏にお詫びと事後処理をさせていただ
きます。)(中略)
、、、、いずれにしても、日本の出版状況全般に
も、がっかりしています。
まあ、これからもお元気で。奥さまにも宜しくお
伝えください。                      
                影書房・松本M

未来社、入社に際しては松本さんにお世話にな
り、そして出版についても多く学ばせていただい
たこと、心より感謝しております。

2012年5月2日水曜日

54年ぶりの大涌谷

大涌谷の噴出口
箱根大涌谷噴出口へ54年ぶりに辿りついた。これまでも、箱根山へは何度か行っ
ているが、強烈な硫黄の臭気が漂う噴出口まで登り着いたのは、岡山から高校の
修学旅行いらいである。その昔は、夜行列車で朝方、熱海に着き、一風呂浴びて、
バスで大涌谷、江ノ島、東京に入って本郷で一泊し、日光までの長旅だった そん
な記憶がよみがえる。長い年月を経ているにもかかわらず、建物が新しく増えてい
ることを除いては、そのままの風景だった。
この話を、息子たちにしたら エッ、、、岡山から大涌谷! と驚かれた。
そして、翌日は、箱根駒が岳に登り、富士山に一番近くて高い場所から山あいに浮
かぶ雄姿を見ることができあた。息子、孫たちは近く登山するためのトレーニングを
しているが、僕は、多分、付き合えないであろう。
今回の、家族旅行は息子たち夫婦が、僕の仕事終了一区切の慰労が主たる趣旨
で計画してくれた。Pホテル滞在の初めての長逗留で風呂にも何回も入浴し、ゆっく
りできた。
そんな時、大槌の佐々木さんから、4・29の本の森オープンを祝して送ったコチョウ
ランのお礼と、翌日の宴席の準備に追われている様子を伝える電話が入った。

【コメント&批評 38】
*(前略)
その折は、改発博明氏のサインが入った貴重な
一冊をご恵贈賜り ご芳情のほど重ねてお礼い
を申しあげます。
また 先日の会は多数のご出席で大変なご盛会
となられたご様子でなによりでございました。出席
がかなわず失礼いたしましたが 藤森様の永年の
ご活躍ご功績に 改めて心より敬意を表します。
未曾有の大震災より一年を経ましたが 私どもは
社業を通じて引き続き地域文化復興のお手伝い
をさせていただく所存でございますので 今後とも
倍旧のご指導ご鞭撻を賜りますよう何卒お願い申
し上げます。(後略)
トーハン・近藤敏貴